いろいろな人と関わりながら社会生活をしていれば、自分の思い通りにならないことも多々あるし、期せずして自分が人を煩わせてしまったり、迷惑をかけてしまうこともある。
そんなとき、「自分の人を見る目が甘いからいけないんだ」と反省してみたり、人に迷惑をかけたときには、誠意を尽くした上で、これもまた「自分の見通しが甘かったのだ」と反省する。
多くのことは、あまり時間をかけずとも、自分の心の整理がついたり、迷惑をかけた相手に誠意が通じて理解してもらえるのだが、ときに、なかなか気持ちの整理がつかなかったり、誤解されたまま人間関係が修復できなくなってしまうこともある。
そうなると、自己嫌悪の深い泥濘にはまって抜け出せなくなってしまう。
たまにそんな状態に陥ったとき、ぼくはそこから脱出する手段として本を読むことにしている。丸々一日、もしくは二日、人との連絡やネット、テレビなどの外的刺激をシャットアウトして、部屋に閉じこもり、ひたすら読書に没頭する。
気になりながら積読状態だった本を手にとることもあるが、多くの場合、こんな時の心に効く本が何冊かあって、そのうちの一冊もしくは二冊を手に取る。その時々の精神状態に合わせて、処方箋のようにどれを読もうか決める。
心の集中治療とでもいえそうなそんな「没頭読書」をすると、いつのまにか気分が晴れ晴れしている。
そんなぼくなりの「心に効く本の処方箋」の代表を紹介してみよう。
★『至高体験』(コリン・ウィルソン)★
小さな物事の中にも達成感を見出し、その気分を自己にフィードバックしていくことでより上位の物事に取り組み、さらに大きな達成感を得て行く。自己実現へと向かっていく人間は、そうした「達成感の積み上げ」を無意識的に行なっている……そんなマズロー理論を援用し、自らをいかに「ハイ」な状態に高め、それを維持するかを解説する。
コリン・ウィルソンの著作は、デビュー作の『アウトサイダー』を筆頭に、『オカルト』、『ミステリーズ』など、ほとんど全ての著作で、人間の秘められた可能性について説いていく。
社会の中で自分が馴染めるポジションを見いだせないのは、アウトサイダーであるからで、アウトサイダーが無理に社会に順応しようとすれば、それは自己崩壊を招いてしまう。逆に、アウトサイダーであることを自覚して、自分の思考を突き詰めていけば、それは社会変革の大きな力になる。
自分がアウトサイダーであることをつくづく感じているので、コリン・ウィルソンのそんな言葉から、大きな勇気が湧いてくる。
★『生命潮流』(ライアル・ワトソン)★
近年、ワトソンは疑似科学だとか出典が明らかでない作文が多いとかといった非難に晒されているけれど、ぼくは著作の真偽などより、ワトソンの叙情的で清流に洗われるような文体で、イマジネーションが沸き上がってくる感覚が好きだ。
ワトソンもコリン・ウィルソンと同様に、人間の秘められた可能性や、目に見える自然の奥底にあるスーパーネイチャーについて目を向け、この世は唯物的な事だけで出来上がっているのではないと説く。それが、疲れた心に大きな励みを与えてくれる。
★『フーコーの振り子』(ウンベルト・エーコ)★
エーコは記号論の大家だが、だからこそプロットは練りに練られ、物語のそこここに秘められたメタファも豊饒で深い。フーコーの振り子はテンプル騎士団にまつわる現代の神話というか陰謀論に踊らされる人間たちのアイロニーを描いている。どんなに教養のある人間でも、いや教養と知性が高いからこそ、形而上的な寓話にはまりやすいということを教えてくれる。
陰謀論と古代の叡智に対する憧憬が混ぜ合わされたとき、ファンダメンタリズムが生み出される。それは、心が弱っている人間を陥穽に嵌める。身近なところにそんな陥穽が潜んでいることをスピード感のあるストーリーテリングで教えてくれる。
一見、権威のありそうな物事も、じつは甚だ頼りない共同幻想の上に成り立っている…そんな風に思えれば、生きることもだいぶ楽になる。
★『空海の風景』(司馬遼太郎)★
昔から、なぜか空海に惹かれている。真言密教を確立した大思想家でありながら、どこか俗物的でもあり、また融通無碍で、あらゆることを肯定的に受け止める。そんな空海のアウトサイダー的なスタイルに共感を受け、空海の生き方や思想をわかりやすく伝えるこの本は、「空海のように生きればいいんだ」と、元気をくれる。
同様に、空海の思想に深く切り込んだ『空海の夢』(松岡正剛)も思想の柔軟さや空海の思想体系からすれば、まだまだ自分が位置する精神レベルは迷いがあって当然と、安心させてくれる。
★『遊歩大全』(コリン・フレッチャー 芦沢一洋訳)★
高校の頃、登山に目覚め、貪るように読んだ一冊。登山やトレッキングといったアウトドアのアクティビティに関するノウハウ本はたくさんあったが(いまでもあるが)、遊歩大全は、コリン・フレッチャーが自然の中で何をどのように感じたか、そして、自然と向きあって心を開放するために、何をどのように準備すればいいかを教えてくれる。
窮屈な都会生活の中で、遊歩大全を紐解けば、心はウィルダネスの奥深くに旅し、大自然のスケールに比べれば、いかに人間社会など卑小なものか思い出させてくれる。
1968年に初版が出て、その後ニ分冊を一冊にまとめた大著。英語版はフレッチャー単独の第3版と共著となる第4版があるが、どちらも邦訳されていない。
コリン・フレッチャーは先年亡くなり、アウトドアズマンとしてのフレッチャー精神をよく理解して本書を訳した芦沢一洋さんも早逝されてしまったのがとても残念だ。
★『孤高の人』(新田次郎)★
新田次郎の山岳小説は高校時代に全て読んだ。いずれもバイブルのように、その後の自分の生き方、ライフスタイルに大きな影響を受けたが、中でも『孤高の人』は、主人公の加藤文太郎に自分がオーバーラップして、何度読んでも同じ感動を味わえる。
人から変人扱いされても、黙々と自分のスタイルを崩さず、ひたむき…というより愚直に、自然の中に入っていく加藤文太郎は、コリン・ウィルソンが描くアウトサイダーの見本のように見える。
女性として初めてマッターホルン北壁完登を成し遂げた今井通子と若山美子をモデルにした『銀嶺の人』、冬の八ヶ岳で遭難し、両足の指をすべて失いながらカンバックして日本人としてマッターホルン北壁初登頂を果たした芳野満彦をモデルとした『栄光の岸壁』。『孤高の人』とともに新田次郎の山岳小説三部作とされる他の作品も、逆境を跳ね除けて途方もない成果をあげた独創的な人間像に、大きな力をもらうことができる。
★『複雑系』(M.ミッチェル.ワードロップ)★
すべての物事は、あらかじめ綿密に組まれたプログラムによって動かされている。人間は神が作った宇宙の法則に常に支配されている。……といったような決定論の世界は、可能性やハプニングに満ちた実際の世界の印象とはかけ離れている。とはいっても、その正反対に位置するカオスだけの世界もそぐわない。
いったいこの世界は、どのように成り立っているのか? それは人類が意識を持ってからずっと命題としてあったわけだが、複雑系はそれに対する一つの答えを明示してくれる。
この世はあらかじめ決められたプログラムに従って動いているのではなく、様々な存在や意識といったものが複雑に絡み合って相互作用をしていく中で、カオスから創発が生まれ、さらに自己組織化していく。そして、いったんはある秩序に落ち着きはするが、それは再び自己解体し、カオスとなる。そして、カオスは再び創発から自己組織化へと進み……。今ではすべての分野の基本理論ともいえるまでに浸透したこの複雑系という理論に出会ったとき、全身が震えるほど感動した。
その実証ともいえるboidやフラクタル描画、スプライン迷路をゲーム制作の現場で実際に使い、インタラクティヴなその映像世界を体験したとき、自分たちが小さいけれども現実世界を創造したという、それまでまったく経験したことのない神妙な気分を味わった。
とても複雑でリアルな動きを見せる世界が、じつは素朴な動機や動きの法則しか与えられていない。それは、「個」の動きは基本的に自由であり、一見無力に見えるその動きが、時として世界全体を変えてしまうほどの波及効果をもたらす…いわゆる「バタフライ効果」…ことを意味し、人間一人が自覚を持って行動すれば、何か大きなことができるということでもある。
「どうせこんなことをしても結果は分かっている。やるだけ無駄」と、大きな障害を前にしたときに思い込んでしまいがちだし、うまくいかないことが続くと、可能性に掛けてみる気力も減退してしまうが、そんなとき、この本はを読むと、諦めずにとにかく行動を起こそうという気分を掻き立ててくれる。
複雑系と同じように、硬直した観念を吹き飛ばして新しいパラダイムを提示してくれた本としては、『野生の思考』(クロード レヴィ・ストロース)も代表的な一冊。唯物論的な世界観から、モノとモノ、人と人、モノと人との関係性に焦点を当てて、世の中が変化に富んだ柔軟なものだとはっきり分からせてくれる。これも、ときどき紐解く一冊。
単純に「元気を取り戻して、また前向きな気持で進んでいける」本なら、定番ともいえる『龍馬が行く』などもあるけれど、そこまで広げるとキリがないので、このあたりで。
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