**斎宮が唱える祝詞は土地の空気を撫でさするように優しく、漣のような抑揚に思わず現を離れていってしまいそうになる**
18世紀の詩人アレキサンダー・ポープは建築趣味で有名だった政治家バーリントン卿に宛てた書簡の中で、"genius of place"という言葉を初めて使った。これにより、近代社会において、古代の重要な叡智の一つであった「ゲニウス・ロキ=地霊」に再び光が当てられた。
すべてにおいて、その場所のゲニウスに相談せよ
それは、水を昇らせるべきか落とすべきかを告げてくれる
岡が意気揚々と天高く聳えるのを助けるべきか
谷を掘って丸い劇場にすべきかを教えてくれる
土地に呼びかけ、森の中の開けた空き地を捕まえ
楽しげな木々に加わり、木陰から木陰へと移り
意図したラインを切ったり、方向を変えたりする
あなたが植えたとおりに塗り、あなたが作ったとおりにデザインしてくれる。
(徳永英明訳)
人は、ある土地を改変したり、そこに何かを建設しようとするとき、ゲニウス・ロキ=地霊の言葉に耳を傾けるべきである。地霊と相談し、地霊を尊重して土地と向きあえば、地霊は人の想いを聴き入れ、人に協力してくれる。
地霊は、その土地固有の「雰囲気」であると同時に、長らくそこに住み、生活を営んできた人間とも同化している。土地と人はともに穏やかに生かし合う関係にあるからこそ、幸せでいることができる。
自然を制圧すべきものとしてきた西洋文明が近代にようやく気づくはるかずっと前から、日本人はそんなことを知っていたのではなかったか?
土地が荒み、人の心も荒み、この国がますます住みにくくなっているのは、そんな古来の心を忘れて自分たちの利益だけを貪欲に求めすぎてしまったためではないのか…レイラインハンティングの旅を続けてきて、つくづくそう思う。
地霊とは、言い方を変えれば「場所の意識」だ。場所の意識と同化し、自分もその同じ意識から発想すれば、場所が何を求めているのかがおのずとわかるのではないか? そのためには、西洋ではゲニウス・ロキを再発見する必要があり、それを顕在化するための様々な方法が試される必要があった。だけど、我々には、古い風習や祭りとして長く伝えられてきた方法論がまだ失われずに残っている。もう一度、それに目を向け、人々が心を一つにしていけば、まだこの国は息を吹き返し、貴重な人類の財産として、世界に自分たちの思想を発信していけるのではないだろうか。
**熊野灘の眩しい入江を睥睨する巨岩。社を圧するこのご神体は、じつはその胎内に白石を敷き詰めた心がサッと洗われる清浄な空間を蔵している**
**その祝詞は、とても人の発するものとは思えない山全体を揺さぶるほどの力を持っていた。地霊を寿ぐとは、ただ優しくいたわるのではなく、しっかりと対峙し、自らの存在を主張することでもあると伝えるかのようだ**
**果無の山並みを射ぬくように一条の光が趨る。長い修験の道を辿ってきた山伏たちには、この光こそ、場所の意識がもたらす啓示に感じられた**
**祈りとは何かを願うことではなく、ただひたすらあるがままを感謝すること。ここ斎場御獄では、沖の久高島の地霊と斎場御獄の地霊との交感に人も溶けこんで、場所の意識と同化していく**
**水と火が織りなす幻想はそのまま場所の意識と人の意識を渾然一体にして、独特の時間を作り出す。祭りの間じゅう、人々の心は此岸を離れて彼岸を遡っていく**
★★『場所の意識』は、『レイラインハンター』の関連コンテンツ、レイラインハンティング写真集として間もなく発売されます。レイラインハンティングサイトにて詳細を発表いたしますので、どうぞご期待ください。
http://www.ley-line.net/index.html
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