「民族学者は、彼自身人間的であろうと願いながら、ある社会、ある文明に固有の偶発事を抽象するために、十分に高く距たった視点から人間を認識し、判断しようと努力する。民族学者の生活と研究の条件は、長期にわたって彼の属する集団から、彼を物理的に抹殺することである。彼が身をさらすことになる変化の激しさから、彼は一種の慢性的な故国喪失状態に落ちいる。もはやどこにいようと、自分のところにいる感じはなくなり、心理的な不具者になっている。数学や音楽と同じように、民族学はまれにみる正統な天職の一つである。天職は誰におしえられなくとも、自己のうちに発見できるものである」(『悲しき熱帯』レヴィ・ストロース 室淳介訳)
自分の中に言い知れぬ違和感があって、それに煩悶しているとき、一つのフレーズに出会ってそれが一気に解消されることがある。
レヴィ・ストロースのこの一文を読んだ時、そんな気持を味わった。
この世での自分の占める場所が見つけられない。人と話しても、会話の内容に興味が持てずに、ただ声が無意味な音として通り過ぎてしまう。テレビを見ても、雑誌を読んでも、全てが白々しく感じられてしまう。
とにかく、普通の人が「現実」として受け止めていることが、自分にとっては時空に漂う無意味な泡沫のように感じられてしまう。
「この世に自分の居る場所がないなら、早々に退場してしまおうか……」
そんなふうにも考えた。
だが、そんな気分がピークにあったとき、この一文と出会い、目が覚めた。自分が心理的な不具者であることに気づき、それを認めることで、とても気楽になった。そして、「現実」の中にも、自分にとって興味を引くものが少なからずあることを発見して、「現実」そのものも、ほんの少し楽しめるようになった。
はじめてこの文を読んだ時から長い年月が経った。
久しぶりに読み返して、散漫に過ごしているうちに再び違和感を持ち始めていた「現実」が、また少し輝きを取り戻したような気がした。
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