このコラムでも何度かレイラインのことを紹介してきたが、今度、 レイラインを本格的に探索しはじめて10年という節目を迎えるのを機会に、とりあえず集大成の第1弾をまとめることにした。
気がついてみれば、東北から沖縄まで足を伸ばし、レイライン探索のためだけに移動した距離は4万㎞あまりにまで達した。
そして、聖地を結ぶ不思議なラインを辿るうちに、 神道に秘められた豊穣なアニミズムの世界や神話の背後に隠された錬金術の伝承を知り、 レイライン探索の旅で頻繁にクロスしてくる空海の足跡から、空海という人間に興味を持って、そこから密教の世界へと踏み込んでいった。
さらに、現代にまでも、レイラインのノウハウが色濃く息づいていて、都市計画や運輸関連の大きな建設では、古代に形作られた 「レイラインネットワーク」ともいえるようなものがそのまま利用され、そのノウハウをはっきりと伝えている集団がいることも知った。
学生時代は、日本神話などにまったく興味がなく、日本史もとおり一遍の暗記項目くらいしか知らず、神道や仏教の知識もほぼ「皆無」 だったものが、いつの間にか、神道の祝詞を読み、仏教美術の解説書を読みあさるようになった。そうして、 この日本という国の中に散りばめられている様々な歴史や文化を掘り下げていくと、新たな不思議が次々に立ち上がってきて、 ますますのめり込んでいってしまう。
あるテーマを掘り下げていくと、自然とその周辺のテーマまで考慮しなければいけなくなり、それがさらに他のテーマへと繋がって…… と、連鎖反応を起こしていく。受験勉強や消化しなければならない単位のための勉強としてテクストを読まなければならないときは、 何も頭に入らず、字面を追うのが苦痛だったものが、レイラインという視点を持つことで、俄然輝いて見えてくる。
旅をしていても、みんなが見向きもせずに通り過ぎていく、朽ちた道端の地蔵に関心をひかれ、 神社仏閣や遺跡の配置が気になるようになった。そして、みんなが目を向けない些細なモノの中に昔の人たちが込めた思いを見いだすと、 歴史というのは過去のものなのではなく、秘められた思いを紐解いてやることでこの瞬間にも息づいてくるものだと知った。
今回は、レイラインハンティングのサイトで紹介しているもの意外にも、 深く掘り下げた事例を紹介していくつもりだ。
今、内容構成案として、次のようなものを考えている。
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1.レイラインとは
2.「レイライン的」発想
3.事例1 東北巨石文化地帯を行く
4.事例2 東国三社と72年に一度の祭り
5.事例3 江戸の風水…五色不動を巡る
6.事例4 白馬を守る「風切り地蔵」
7.事例5 京都の結界…封じ込められた怨霊
8.事例6 能登…イルカを呼ぶシャーマン
9.事例7 若狭…不老不死伝説を巡る
10.事例8 近畿に隠された巨大な五芒星を巡る
11.事例9 沖縄…女神の島
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来月の半ばには、DVDコンテンツとしてまとめ上げて発売する予定だ。
詳細はいずれレイラインハンティングサイトのほうで。
**上総一ノ宮玉前神社に射し込む春分と秋分の朝日が向かう先は……**
>tatsuさん
コメントありがとうございます。
都市計画や大規模建築では、まず間違いなく風水とともにレイラインの考え方が用いられていますね。
一見、歴史のある時点で断絶してしまったように見えるこのような知識を伝えてきた「彼ら」は、本当はどういった人たちなのでしょうね。
投稿情報: uchida | 2009/04/02 18:28
こんにちは。
レイラインの記事を興味深く読ませていただいてます。
>さらに、現代にまでも、レイラインの・・・そのノウハウをはっきりと伝えている集団がいることも知った。
やっぱりいるんですね、そういう集団。私も身近なところでレイライン(のようなもの)を調べていますが、大きな都市公園の配置は古代の何かの線の交点だったり、古代遺跡・神社などとのシンメトリーな位置関係があるようです。誰かがどこかで設計者にアドバイスしているのでしょうか。そういったところに現れる直線の長さには地球と宇宙、人の身体能力などに関係したものがあるようにも思えます。
投稿情報: tatsu | 2009/03/31 19:45
>nainoaさん
こんにちは!
ユングの『心理学と錬金術』の中に、「錬金術の実験者たちは化学の実験を行っている間中、一種の心的体験をしていた。だが、その心的体験は本人には化学の過程の特殊な状態としか見えなかった。実験者は自己の投影を物質の特性として体験した。しかし、実際に彼が体験していたのは彼の無意識だったのである」という記述があります。
GPS持参でレイラインの旅をしていると、自分もユングが言うように、『科学的』という視点を保とうとして、じつは科学的なツールで、自分の無意識を顕在化しているだけなのではないかという気がすることがあります。
それが、「土地に呼ばれる」という印象なのかなと……。
「この世には偶然はない全ては必然」といった言い方がありますが、ぼくは、この言い方は神秘主義者の浅はかな自己肯定のようでもあり、運命論的で好きではありません。必然というよりも、無意識の領域で、じつはいろいろなことを感じている、あるいは知っていて、自分を知らず知らずのうちに導いて行っているのではないかと思います。
投稿情報: uchida | 2009/03/24 19:52
>ヤマさん
コメントありがとうございます。
昨日まで白馬にいたのですが、白馬の友人のそのまた友人が、偶然、山でヤマさんにお会いしたという話しを聞きました。レイライン繋がりの不思議なご縁ですね!!
投稿情報: uchida | 2009/03/24 19:42
こんにちは。
このブログをきっかけにレイラインサイトのレポートを読んでみました。
そして、ずっと疑問というか不思議に思っていたことへの新たな観方が広がりました。
これまで「土地」に呼ばれて、もしくは、それにも気づかず、でも風に運ばれるようにその場所へ行くようなことが何度もあり、後でそれらがいわゆる「聖地」だと知るのですが、なぜそんなことが起こるのか、それが自分にとって何を意味するかわからなかったのです。
それは-
古代の人たちが当たり前のようにもっていただろうセンサーが、私の中にも眠っていて、きっと自分に必要なタイミングで、ある土地のエネルギーに同調するのかも・・・・ それが何をもたらすか目には見えなくても、その場所で自分に必要な何らかの「つながり」を貰う、もしくは取り戻すことが起こっているのかも・・・・ と思えます。
こういう風に思えるようになったことがうれしいです。
投稿情報: nainoa | 2009/03/24 10:59
レイライン集大成とは!
待ってました。ワクワクです。
「歴史は、この瞬間にも息づいている」。
同感です。
古代人が、大地に残した徴を見つけ出す
ことで、繋がるような気がします。
時間を超えて。
今後の記事を楽しみにしている一人より。
投稿情報: ヤマ | 2009/03/21 20:58