**ずっと愛用している、ぼくの"便所サンダル"……もとい"クロックス"**
21世紀に入ってすぐの頃、仲の良いアメリカ人のヨットマン三人が、 カナダの小さな会社が作っている軽くて濡れても滑りにくいサンダルに注目した。
特別なウレタンラバーでできたそのサンダルは、足にフィットして、しかも裸足のような感覚でいられて、濡れたデッキの上でも滑らず、 三人にとって欠かせない道具になった。
「こいつを改良して、売ってみようか」
そんなことを思いついて、よりマリン向きで使いやすくしたこのサンダルをフロリダのボートショーに持ち込んだ。 ここから口コミで"クロックス"の評判が高まり、たちまち世界ブランドとして成長していく。
2002年の7月にコロラド州ボールダーに創業。四年あまりでNASDAQに上場を遂げる。
ぼくがクロックスと出会ったのは、シーカヤックをする仲間が注目して、海で愛用しはじめた2004年頃だったと思う。 日本への正式導入は2005年だから、その少し前ということになる。
初めて目にしたとき、このサンダルは、昔、よくトイレに置いてあった安いビニールのサンダルに形も色も似ていたのと、 滑りやすいタイル張りのトイレで安心して用が足せたので、ぼくたちはこいつを「便所サンダル」と呼んでいた。
しかし、この便所サンダル……もとい"クロックス"が、こんなにも巷に溢れようとは。
どうしてここまでクロックスがヒットしたのか、それは、ひとえに、 今までありそうでなかった商品というヒット商品の奥義をこのクロックスが秘めていたということになりそうだが、当然、 マーケティングの方法なども独特なものがありそうだという気がしていた。
そんな折、クロックスの日本代表を務める藤田守哉氏の講演会が開かれるというので、出掛けてみた。
藤田氏本人の経歴も面白かったし、大手外資系のブランドの日本展開で辣腕を発揮されてきた人だけに、 いろいろと勉強になる話が多かったが、いちばん面白く感じたのは、クロックスの創業者三人のその後だった。
てっきり創業メンバーは、今でも経営の中枢にいるのかと思っていたが、三人とも、 クロックスの人気が出始めるとともに経営を外部から招聘したプロに譲り、二人は研究開発に専念し、 一人は会社を離れてクロックスのリテーラーとして独立したのだという。
そもそも、クロックスを世に送り出した動機というのが、これを戦略商品として会社を立ち上げて大きくしようというのではなく、 製品そのものに惚れ込んで、自信を持って世に送り出したいというシンプルなものだった。だから、急に評判が高まって、 膨大な需要が生じたときに、創業メンバーたちは、それをビジネスを発展させるための好機ととらえるよりも、 むしろ困った事態になったと思ったらしい。
そして、本来、経営に固執するモチベーションではなかったために、あっさりと経営を人任せにすることになった。
外部からやってきた経営のプロは、需給バランスをとるための設備投資やら、 さらに発展させるためのプロモーションやらを真摯に行って、クロックスを全世界に広めていった。
日本では、エスカレーター事故で一躍有名になったが、この不測の事態への対応でも、 他の会社なら製品の自主回収に動きそうなところを、創業者たちの製品への自信を受け継いでいたおかげで、 都会で子供をエスカレーターに乗せるケースに対応した巻き込まれにくい素材の対応製品を作り、 従来からの製品はそのまま継承するという方法をとった。
元々、アウトドアユースでは、クロックスはとても使いやすい製品として定評があり、 それをまったく想定していなかった状況での特殊な事故によって回収するというのはナンセンスだ。そんな意識が藤田氏はもちろん、 日本のスタッフみんなにあったという。
事なかれ主義と、その表裏一体である偽装や言い逃れ……そんなものばかり蔓延しているように見えてしまう世界で、 創業陣の潔さやそれを受け継いだ経営陣の製品に対する自信と愛着の話は、なんだか元気が出てくるエピソードだった。
コメント