筑紫哲也が亡くなった。
彼が編集長だった頃の「朝日ジャーナル」は、時代を見つめる視線が斬新で、毎号、食い入るように読んだものだった。
とくに、当時の自分と同世代の若者たちを取り上げた「新人類の旗手たち」と、後に「グレートジャーニー」 を達成することになる関野吉晴が連載していたアマゾンでの原住民との生活模様を伝えていた「トウチャン森へ帰れ」は面白かった。
立花隆のノンフィクションの名作の数々が生み出されたのも筑紫編集長の頃だし、 今のイスラム原理主義の台頭を予言したかのような松本健一のファンダメンタリズム研究も連載された。さらには、 千葉敦子さんが自らが最期の地として選んだアメリカで、死を迎える直前までをまさに赤裸々に綴った『「死への準備」日記』もあった。
思想や心理、政治、文化に奥深く鋭く切り込みながら、硬くなったりペダンティズムに陥ることなく、誰でも読みやすく、 そして共感できるエンタテイメント性を持っていて、「思想というのは、哲学者の空論なのではなく、 今ここに生きている我々が直面している現実問題なんだ」とわからせてくれたような気がする。
筑紫哲也自身、ジャーナリストとしても鋭い目を持ち、時事に切り込んでいったけれど、もっとも才能が輝いていたのは、 ジャーナルの編集長として見せた、人の個性を最大限に発揮させるエディターとしてのセンスだったように思う。
そのセンスの礎となっていたのは、後に自らが時代のコメンテーターとなって発揮した「この世をなんとか良くしたい」 という情熱だったろう。
だけれど、筑紫編集長が退いてすぐ長年続いたジャーナルの火は急速に萎んで消え、時代はバブルの狂乱から、 ゆがんだグローバル社会へと、どんどん転落していった。
千葉敦子さんが、自分の命が消えるまで、社会と自分という存在を見つめ続け、分析し続けたように、 筑紫哲也もずっと冷徹に見つめ続けていたのだろう。
末期に、彼はこの残念な時代の行く末が予見できただろうか……。
合掌
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