数日前、自宅の近所を自転車で走っていて、小さな柿の林を見つけた。
かつては、柿畑というか柿の果樹園だったのだろうが、大部分は宅地化されて、果樹園の名残といった風情だった。
今日の午後、自転車で買い物に出たついでに、柿はどうなっているだろうかと遠回りしてみた。
すると、先日はちょうど食べ頃でいい色をしていた実が、ほとんどが熟れすぎて柔らかくなっていた。そのまま地面に落ちて、 醜くつぶれているものもある。せっかくの秋のみのりを無駄にしてしまうのももったいないが、熟した実を鳥が啄んでいないのが不思議だ。
幼い頃、よく祖母と一緒に過ごしていた掘りごたつのある居間の窓の外には一本の柿の木があって、上のほうの人が獲りにくい実は、 熟してくるとひっきりなしに鳥がやってきて啄んでいた。
祖母は、何故かムクドリのことを百舌だと思いこんでいて、柿の枝に取りついて、 他を威嚇しているのかギャーギャーとけたたましく鳴きながら熟した実を旨そうに啄むムクドリを見て、「ほら、また百舌が来た」と、 飽かず眺めていた。
柿の実がほどよく色づくと、その実をよくもいだものだ。ちょうど掌くらいのサイズの二股になった枝を物干し竿の先に藁縄で括りつけ、 柿の実が生っている枝をその股で挟む。そして、そのまま捻ると実の生った枝がポキンと折れて、簡単に実がとれた。
甘柿はそのまま食べて、渋柿は皮を剥いて藁縄に並べてぶら下げ、干し柿にした。歯のなかった祖母は、 熟してとろけたような柿が好きで、嬉しそうにゲル状になった果肉を啜っていた。
柿採り棒の届かないところにある実はそのまま残して鳥たちのえさになった。 鳥たちも祖母と同じように熟し切った甘い果肉が好きなようで、赤黒く色づいて枝からこぼれ落ちそうになる寸前まで手をつけず、 頃合いになると、目をつけていた鳥たちの間で取り合いになった。
やかましいムクドリの鳴き声を聴きながら、祖母は、「鳥も、美味しいものがわかるんだねえ」と、目を細めていた。
そんな「ごちそう」が山のようにあるのに、いったい鳥たちは何をしているのだろう?
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