持続可能性、持続可能な社会、sustainability……この数年、よく聞く言葉だし、自分自身、 この言葉を無造作に使うようになった。でも、この言葉の意味をはっきりとして使っている人が、自分を含めてどれだけいるだろうか?
ぼくは、持続可能性という言葉に、「『地球環境の』持続可能性」という意味合いを含めて使っているつもりだ。だが、調べてみると、 「『人間社会の』持続可能性」という意味で用いられることが多いようだ。
地球環境の……といった場合には、 人間活動の縮小やあるいは人間そのものの減少やことによったら人類の廃除といったことまで視野に入ってくる。だが、人間社会の…… といった場合には、地球環境は主ではなく従の位置に置かれる。
別に、「地球が健全であるために、害をまき散らしている人類が絶滅してしまえばいい」などと思うわけではないけれど、 人間にとっての利益や住みやすさということに主眼を置いては、逆に、破滅への道を逃れることはできないと思う。
先日来読み返していた 『複雑系』をようやく読了したが、この終わりの部分に『持続可能な人間社会』という提言が掲載されていた。そもそも『持続可能性』 という言葉は、1980年代後半に、世界資源研究所を設立したJames Gustave Spethが、今後20年ないし30年の間に人類が経験する必要のある6つの遷移に結びつけて提言した言葉だという。
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1.ほぼ安定な世界人口への<人口学的>遷移
2.一人あたりの環境影響を最小化する<工学的>遷移
3.商品とサービスに……環境コストを含めた…… 真のコストを課す試みが真面目になされ、それに刺激されて世界経済が自然の「資本」を枯渇させることなく、自然の「収益」 に頼ろうとするような世界への<経済的>遷移
4.その収益をより広く分配するとともに、 世界中の貧しい家族が家庭を崩壊させることなく、 より多くの雇用の機会を得られるような世の中への<社会的>遷移
5.全地球的な問題への全地球的な取り組みを促進し、 さまざまな政策の統合化を可能にするような超国家連合への<制度的>遷移
6.科学的研究、教育、 および地球のモニタリングによって、 当面する難題の本質が多くの人々に理解できるような世界への<情報の>遷移
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すでに20年以上前に、 こうした明確な提言が出されていながら、今は、「持続可能性」という重宝な言葉が一人歩きしている。
6月3日の"wired vision"に"「新型プリウス」 よりもエコな「中古車」、米国で人気"という記事があったが、原油高や環境圧力でハイブリッド車が注目され、開発宣伝熱が高まる中、 提言の3番にある「商品とサービスに……環境コストを含めた……真のコストを課す」 という見方をしなければ肝心なことを見誤ってしまうという気がする。
一昨日、都内を仕事で巡る際に、 友人が最近ベンツのM320から乗り換えた1999年式のMINIに乗せてもらったが、ちょっと古臭いこんな車に乗る…… 乗り換えることがカッコいいと、みんなが思える社会になりつつあるのなら、まんざら捨てたものでもないなと、少し良い気分になった。本当は、 もっともっと自転車や公共交通機関を利用しやすい環境が大切なのだとは思うが……遷移とは瞬時に物事が変化するのではなく、 漸進的に変わっていくことだから、これでいいのだろう。
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