昨日は夏至だった。6年前、伊勢の二見が浦から登る夏至の日を迎え、そのまま太陽の運行線に沿って、 京都大江の元伊勢までバイクで辿って、その日の太陽がご神体山である日室岳に沈むのを拝んだ(そのときの記録は『夏至の結界』として 「レイラインハンティング」のほうにまとめた)。
伊勢では、白装束の善男善女たちが海に入って禊をしながら、夏至の太陽を拝み、元伊勢では遥拝所で夏越の祓いが行われた。
このときは、奇跡的にずっと晴天に恵まれ、夏至の太陽とともに長い一日を過ごすことができた。そして、古来から続く儀式の中に、 人がいかに宇宙・自然を生きて暮らしていたかを実感させられた。
今年は、梅雨らしい梅雨空で、夏至の太陽はほとんど拝めなかったが、代わりに、夜、キャンドルナイトにして、 電気を使わずに過ごした。
テレビの音もハードディスクの回る音もなく、ろうそくの柔らかな光が静かに部屋を揺らす。表から聞こえてくるのは、 小さく間断を繰り返す風音と、それに乗ってふる細雨の気配、そして遠くから微かに届くカエルの鳴き声……。
何をするでもなく、人工物からの刺激のない時間を過ごしていると、時間の流れというものも、 主観によって変わってくるのだという気がする。
夏至、冬至、春分、秋分……そういった季節の節目は、一年に一度しかない。そんな日を残された人生の中で、 あと何回実感できるのか? そう考えると、日々、外部刺激によって、忙しない時間を過ごさせられているのが、とてももったいない気がする。
コメント