昨年、シネアミューズへ観に行こうと思っていて見損なった"ONCE ダブリンの街角で"を先日DVDで観た。
ほとんどの場面がハンディカムの長回しで主人公の二人を追いかけ、しみじみとした音楽に包まれたこの映画は、 ロードムービー+ミュージカルといった雰囲気だ。そして、そんな手法が醸し出すドキュメンタリータッチともいえる味わいが、物語を身近に感じさせる。
恋人に理不尽に逃げられてしまったらしいギター弾きと、夫を置いてチェコから娘と母親の三人でダブリンにたどり着き、 花売りや屋敷の掃除をしてなんとか暮らしを立てているピアノ弾き。
初めは、ストリートで歌うギター弾きにピアノ弾きが興味を持ってアプローチするが、ギター弾きは、彼女を性急に求めてしまう。 二人の気持ちが微妙な距離感で近づいたり離れたり……互いに引かれ合うのだけれど、夫や恋人のことが心残りで、 二人は結ばれるまでには至らない。
その二人の"あわい"のような関係が、台詞や情景ではなくて、音楽を通して表現されていく。
例えば、ギター弾きが作った一つの曲に、「この曲に歌はないの?」とピアノ弾きが聞く。「ぼくの詞は甘すぎるんだ。 君が詞をつけてくれ」と、CDとプレーヤーを渡す。ピアノ弾きは、CDを片時も離さずに聴き続け、歌を口ずさんでいく。それは、 自分の夫への想いだった。
別なシーンでは、ギター弾きが同じ曲に自分の詞で歌う。それは、別れた恋人に対する未練に満ちた詞だった。
ギター弾きの才能を同じミュージシャンとして感じたピアノ弾きは、デモCDを作ることを彼に勧め、なんとか費用を工面して、 仲間たちも集めて、スタジオで録音する。そのとき、ギター弾きは、ピアノ弾きにプロポーズする。「ロンドンに一緒に行こう、子供も一緒に」。
ピアノ弾きは、ギター弾きに問う。「お母さんも一緒でいいの?」。
ギター弾きは、それには即答できない……。
心の底で引かれあいながら、そして、求めあいながら、二人は、一度も口づけすることもなく別れていく。
ギター弾きからピアノ弾きへの、最後の素晴らしいプレゼントが、二人の…… そしてこの物語を寄り添って体験しているこちらの気持ちまで、優しく、柔らかくしてくれる。
この物語に悪人やほんの少しでも悪意を持った人間は登場しない。全てが善人で、そして、みんな一生懸命生きて、人を思いやっている。
限りなく切なくて、だけど、ハッピーで……アイルランドだからできるファンタジーなのだろうな。
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