『考える人 2008冬号』を読んでいたら、大貫妙子がエッセイで、ヒノキの風呂桶を自宅に入れたと書いていた。
20年前に葉山に自宅を建てたときに、ヒノキの風呂桶を奮発して、それがかなり草臥れたので、新調したのだという。 値段が20年前の二倍になり、材の厚さが5mm薄くなったと嘆きつつも、それが運び込まれただけで、家全体がヒノキの香りに包まれて、 幸せを感じたという。
そして、古いヒノキの風呂桶は解体して、大きくとれた材はテーブルにでもして、あとは薪ストーブを入れたときの燃料にするのだと。
そんな文を読んで、幼い頃に実家にあった杉材の風呂桶を思い出した。
昔の田舎の家では割とポピュラーだった、町の風呂桶屋さんが作った楕円形の風呂桶。今、思い出すと、あれはたしかにいい香りがして、 湯はまろやかになり、冬でも湯温が下がらなかった。
小さな子どもにはちょっと深くて、湯に馴染まされた桶の内側がツルツルと滑って少し怖かったが、あの柔らかい湯の感触は、 いまだにはっきりと覚えているし、どんな温泉でも、あのときの湯の気持ち良さにはかなわない。
ぼくは、まだ学校に上がる前から、風呂焚きをまかされて、庭で薪を割って、新聞紙を丸めて火付けにして、 割った薪をくべて湯を沸かした。父が珍しく早く帰宅すると、うれしくなって、盛大に薪を燃やし、火吹き竹で、 小さいほっぺたを一杯に膨らませてフーフーやって、「そんなに燃したら、熱いだろ」などと叱られたものだった。
杉の風呂桶が二代目になったとき、大貫さんが書いたように、家中が杉の香りに包まれて、 なんだか幸福な気分になったことも覚えている。
一代目の風呂桶は、そのまま庭の片隅に置かれて、大きな水槽となった。
雨水が溜まるにまかせたその水槽は、父が丹精込めていた植木の水遣りのために使われ、夏場は、ボウフラ退治がぼくの役目だった。
ある年の春、近くの池でたくさんのオタマジャクシを捕り、それを風呂桶水槽に放しておいた。すると、 それから一月あまりした梅雨の最中に、一斉にカエルになって、風呂桶から飛び出し、強い雨が降りしきる中、実家は、 トノサマガエルの大合唱に包まれた。
二代目の風呂桶は、何年持ったのか……それが杉板を箍でとめた安いものだったせいか、 大貫家の20年持ったヒノキとは比べものにならないくらいの短さで、湯船に木っ端が浮かぶようになってしまい、それは、たしか廃棄された。
代わりに風呂はタイル張りの浅いものになり、薪から石油での焚きつけに変わった。
タイルの風呂は冬場はとても冷たく、すぐに湯が冷めてしまって、それを機に、ぼくは風呂嫌いになってしまった。
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