未だに2007年の元旦の記憶が鮮明に残っているというのに、気がつけば2008年が明けてしまった。……まったく、毎年毎年、 時間の流れがどんどん加速していくように感じてしまうのは、やはり歳を取ったということだろうか。
それはともかく、明けましておめでとうございます!!
年が明けて、さっそく初詣を済ませた人も多いとは思うが、今回は、『東国三社』 と呼ばれる千葉県と茨城県に点在する三つの神社を紹介してみたいと思う。初詣がまだという方は、ぜひ、候補に!!
さて、本題に入る前に、まず一言。アウトドアのblogで神社を取り上げるというのも、おかしなことに思えるかもしれないが、 ぼくは、昔から、アウトドアのフィールドとしての神社の森と、そこに古来から伝わる自然信仰は、日本人の感性のコアにある「自然と共生する」 という感覚を端的に示すもので、まさに「日本的アウトドア」の原点ではないかと思っている。
神聖であり不可侵である神社の森には、人を癒し、元気を取り戻させてくれる精気が満ちている。そして、 太陽の運行に沿った折節の祭りは、人が自然のリズムの中で生きていくことこそ、健康で幸せな生き方であることを思い出させてくれる。
そんなわけで、ぼくは、日本的アウトドアの代表的なフィールドの一つとして神社を位置づけているのだ。
さて、東国三社だが、これは記紀神話の中で語られる「国譲り神話」にちなんだものだ。
太古、神々は、天に住む『天津神』の一族と、地に住む『国津神』の一族に別れていた(もっとも、神道では、 それを峻別しているわけではなく、間を繋ぐ神々や、どちらにも属さない神々もあるとしているのだが)。
天を統べるアマテラスは、国津神の支配する地上をも統一しようと、その頂点にいたオオクニヌシの元に、「国を譲れ」 と迫る使者を送る。その使者が、タケミカヅチ、フツヌシ、アメノトリフネの三神だった。この三神を祀っているのが東国三社だ。
タケミカヅチを祀る鹿島神宮、フツヌシを祀る香取神宮、そしてアメノトリフネを祀る息栖神社が、東国三社と呼ばれて、 東関東の一角に大きな二等辺三角形を描くように配置されている。
この天からの使者である三神を迎えたオオクニヌシは、国譲りを了承する。しかし、 それに反対する次男のタテミナカタがこれに抵抗して戦いとなる。
武神の頂点にあった鹿島神宮の祭神であるタケミカヅチとタテミナカタは壮絶な戦いを繰り広げた後、タテミナカタは敗走して、 今の諏訪地方にたどり着く。そこまで追撃したタケミカヅチは、タテミナカタが諏訪の地に永遠に留まるのなら許しを与えると約束する。
そして、天と地は統一され、アマテラスがその頂点に立った。
鹿島神宮は、堂々とした鳥居と山門を構え、それが不思議なことに西を向いている。ほとんどの神社は、 鳥居と本殿の向きは南を向いている。ごくまれに参道が東を向く神社もあるが、西を向いているというのは、鹿島神宮以外にほとんど例がない。
じつは、この鹿島神宮の鳥居が向いている遙か先にはタテミナカタを祀る諏訪大社がある。鹿島神宮は、今でも、諏訪大社を睨み据えて、 牽制しているというわけだ。
それ以外にも、鹿島神宮にまつわる面白い逸話はたくさんあるのだが、 それは神話学の話やレイラインと呼ばれる古代の工学の話になってしまうので、ここでは触れずにおこう(詳しく知りたい方は、レイラインハンティングへ)。
**本殿は北を向いている。これも他に例を見ない配置で、鹿島神宮が朝廷の東国支配の拠点であり、 ここより北に住む「エゾ」をにらみ据えていたことを物語る**
**奈良の春日大社は、鹿島神宮を勧請したもので、神の使いとされる鹿は、ここから連れて行かれた。 奈良公園の鹿は、元々、ここの鹿の地殻引いている**
**2000年以上守られてきた広大な鎮守の森は、精気に溢れ、 心身とも癒してくれる**
**鹿島七不思議の一つ「要石」は、この土地の地下に棲む大ナマズの頭を押さえていると伝えられている。 水戸黄門は、この石を掘り起こそうとたくさんの人足を使ったが、七日七晩かけても、ついに掘り起こせなかったという。 巨石信仰という一つの原始自然信仰の名残りを伝えるものでもある**
**鹿島神宮の本来の参道は北から始まっていた。その起点にある御手洗池。ここも鹿島七不思議の一つで、 大人が入っても子供が入っても、その深さは乳の高さで一定していると伝えられる**
**散策の仕上げは、御手洗池の畔にある茶屋で、名物の甘酒と団子を**
その2へ続く
コメント