剣道や柔道の道場には神棚があって、「鹿島大明神」、「香取大明神」などと墨書された軸が掛けられていることが多い。それは、 先に紹介した「国譲り神話」で、オオクニヌシの次男であるタテミナカタを打ち破って、 天津神の地上支配の礎を築いた鹿島神宮の祭神であるタケミカヅチと、それが手にした刀の神である香取神宮のフツヌシにあやかったものだ。 ちなみに、三社のもう一つ息栖神社は二神が乗った舟の神アメノトリフネ(天鳥舟)として知られる。
じつは、このように、記紀神話に基づいた神を祭り、しかも記紀神話に語られる物語を大地に配置した神社というのは数多い。
神社単体として見たら、「古くさい信仰」のような気がするが、ぼくがレイラインハンティングで実践しているGPSを使った神社巡りをすると、 古代の人たちが恐ろしく正確に神社や遺跡を配置して、太陽や星の運行を観測したり、 聖地どうしを有機的に結びつけていたことがわかって面白い。
本当は、今回は自転車にGPSを装備して三社を回るつもりだったのが、準備不足ためにかなわなかった。もう少し暖かくなったら、 三社とともに、三社が位置する風光明媚な水郷地帯をサイクリングして巡ってみたいと思っている。
さて、今回は、東国三社も二つめ、香取神宮を紹介してみよう。
**千葉県の佐原市にある香取神宮。ここも広大な鎮守の森に囲まれている。 佐原は日本で初めて正確な地図を作った伊能忠敬の生地でもあり、街の中心部に記念館がある**
**取材したときは、もう年の瀬だというのに紅葉の絨毯で、晩秋の趣。冬至の日差しも春のような温もり。 しかし、これは、麗らかに感じることはできない。自然のバランスが狂ってきていることの証だからだ**
**境内には、年末らしく、大祓のための茅の輪が据えられていた。国津神=出雲系の神社は茅の輪を潜ったら、 まず右方向に回って八の字を書くが、天津神=伊勢系の神社では左回りから始める。香取神宮は天津神なので左周り。 このあたりにも、日本神話の面影が残っていて面白い**
コメント