■鬼ヶ城と花の窟■
大吹峠へのピストンで熊野詣の雰囲気を少し味わった後、鬼ヶ城へ。 ここは紀伊山地が海と出会い、 打ち寄せる波とぶつかって、まさに鬼が棲むかのような凄まじい景観を見せる場所です。
波によって深く抉られた巨大な岩屋は、かつて勇名を馳せた熊野水軍が拠点の一つとしたと伝えられ、腹の底を揺さぶるような波音が、 彼らの荒々しさを連想させます。
この鬼ヶ城に象徴されるように、紀州・熊野の自然は果無の山がいきなり海と対峙して、 あたかも山と海が空間を奪い合ってぶつかっているような、生々しい息吹に満ちています。そんな自然のダイナミズムが、 卑小な人間の介入を許さず、そこに立った人間に、「神」のような大きな存在を連想させるのでしょう。
波に浸食された岩の一つ一つがまた、猛り狂う獅子や鬼の形相を思わせ、 激しい波音と相まって、畏怖心を掻き立てます。
しかし、この日の熊野灘の海の色は恐ろしいほど綺麗でした。それは沖縄や海外の南国リゾートにも負けないほどの青さで、 今まで何度もこの地を訪ねていますが、最高の海の色でした。同じ場所でも訪ねる毎に違った表情を見せてくれる。やはり、 それが自然の醍醐味といえるでしょうね。
鬼ヶ城からはR42を少し南下し、花の窟へ。ここは、 大和の国生みをしたと神話で伝えられるイザナミ命の墓であると伝えられています。
参道の入口に車を駐めて、鳥居を潜ると、両側から迫る緑がトンネルのようで、涼しい風が吹き抜けて行きます。 まだ5月に入ったばかりだというのに蝉が鳴いて、迎えてくれました。
緑のトンネルを抜けたその先には、真っ白い巨岩が立ちはだかり、 そこだけスポットライトを浴びたように南天の日が射す広場が、宙に浮いた舞台のように感じられます。 鬼ヶ城の荒々しい海とぶつかり合った岩とはことなり、のっぺりとして優しい曲線を描くこの花の窟は、 たしかに女神をイメージさせます。
毎年、2月2日と10月2日には、「お綱掛け」と呼ばれる神事が奉納されます。花の窟を見上げるとその岩のてっぺんに綱が渡され、 梯子のように編まれた綱がそこからぶら下がって風に揺れています。
黄泉の国へ行ったイザナミ命を追って、その夫イザナギ命が冥界へ降りていくという故事に因んだこの綱によって、 イザナミ命との繋がりが未だに保たれていることを象徴しているのでしょうか?
空中で揺れる綱を見ていると、それが岩から伝えられたメッセージを描いているようにも思えてきます。ちなみに、「お綱掛け」 神事では、花の窟から見渡すことのできる七里御浜で巫女の踊りが奉納されて、その後、浜から引かれた綱が渡されます。
熊野は、補陀洛渡海として、海の向こうにある彼岸に渡る場所とされましたが、あるいは、この綱は海の彼方の彼岸と此岸を結びつけて、 彼岸にいるイザナミ命の言葉を伝える象徴となっているのかもしれません。
なんともいえない、柔らかい優しい雰囲気に浸って、ぼんやり止まっていると、 参道を一人の初老の男性が足早にやってきました。ジャージ姿のいかにも地元の人といった感じのその人は、ぼくたちにはまるで目もくれずに、 真っ直ぐ大岩に設えられた祭壇の前まで進むと、いきなり、そこに膝をついて座り、掌を上向きにして肘を地面に付け、さらに額を地面につけて、 祈りを捧げ始めました。
ぼくはふと、この場所の雰囲気と彼の祈りの作法を見て、未だに古い自然信仰の形が残る、沖縄の聖地「御嶽(ウタキ)」で、 ノロと呼ばれる女性シャーマンが捧げる祈りの姿を思い出しました。
**新宮へ向かう途中で見つけた絞りたてミカンジュースの販売所で一服。甘すぎず、酸っぱすぎず、 喉の渇きを癒すには最高の飲み物だった**
■熊野速玉大社と神倉神社■
先に、波田須にある徐福の宮を紹介しましたが、熊野はこの世の果てに位置して、 海の向こうにある補陀洛浄土へと僧侶たちが漕ぎだしていった歴史が、和歌山県新宮の速玉大社、 勝浦の補陀洛山寺に残っされています。
熊野三山の一つである速玉大社は、朱が鮮やかで目に眩しいほど明るく、どこか竜宮城を連想させます。
勝浦にある補陀洛山寺には、海の向こうに補陀洛浄土があると信じ、渡海舟と呼ばれる小舟に乗って、帰らぬ旅に漕ぎだしていきました。 渡海舟には小さな屋形が設えられていて、僧がその屋形に入ると、外側から戸が立てられ、内からは開かないように封印されてしまいます。
じつは、僧たちは海の向こうに補陀洛浄土があると信じていたというわけではなく、 修行の最終形態ともいえる捨身修行を渡海という行為に置き換えていたとも言われます。那智の滝では、 文字通り吉野から熊野まで紀伊半島を縦断する「奥駆け」の修行の仕上げに捨身修行が行われたという記録が残っています。
速玉大社から南西に2kmほど行った山の上には、神倉神社があります。
ここは速玉大社の発祥地であるとも伝えられています。文字通り胸突き八丁の急な石段を登っていくと、 巨岩を背後に戴いた社があります。ここからは新宮の町並みとその向こうに広がる青い熊野灘が一望に見渡せます。
社の背後にある岩は「ゴトビキ岩」と呼ばれています。ゴトビキとはこの地方の言葉でカエルのこと。たしかに、 その形は大きなカエルのようにも見えます。
花の窟が社を持たず、直接岩を拝むような形になっていたのと同じく、ここではゴトビキ岩そのものがご神体として、 社は拝所の役割を果たしているにすぎません。岩がご神体とされることが多いのは、盤座(イワクラ)といって、 そこに神が降臨したと伝えられるためで、とくにそのように神聖視されるのは花崗岩であることが多く、近年の研究では、 花崗岩に含まれる石英が時計の水晶発振のように、外側から岩に掛かる風などの力を一定の周波数にして還元して、 それが心を落ち着かせるためではないかといった説があげられています。
また、花崗岩に含まれる放射性物質や磁力を帯びた鉱物成分が発する電磁波の影響で、 人の脳が幻覚を見るためではないかといった説もあります。
まあ、科学的な説明はさておき、見晴らしの良い丘の上に、街を見下ろすように鎮座する大岩に対峙すると、 ゴトビキ岩自体が意志を持って、新宮の町を見守っているように思えてきます。
ゴトビキ岩でお参りを済ませ、参道を戻っていくと、その参道を掃き清めていた作業着姿の初老の男性が声をかけてきました。
「岩屋には、お参りされましたか?」
「岩屋ですか?」
「はい。ゴトビキさんの後にある岩屋が、ほんまに神様が降りられた場所なんです。 せっかく見えられたんですから、 ご案内します」
と、彼は、箒を傍らに置いて、ぼくたちをゴトビキ岩の背後にある岩屋に案内してくれた。そこには、 花の窟で祭壇の周囲に置かれていたのと同じ白い丸石が敷き詰められていた。
「これから、私が、正式なお参りの仕方を教えてあげますね」
と言うと、丸石を二つ手に取り、それを正座した膝の下に置き、掌を上に向けて、肘をつき……その作法は、花の窟で出会った、 あの男性とまったく同じものだった。
**ゴトビキ岩を後にして、今日のキャンプ地「潮岬」に向かう途中の橋杭岩。潮の引いた磯は、 小魚やイソギンチャク、ヤドカリなどの小生物の天国だった**
**潮岬の突端にある「望楼の芝キャンプ場」。 太平洋を望む広大な芝生が無料のキャンプサイトとして開放されている**
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