■思い出の土地・『熊野』■
前回熊野を訪れたのは、 4年前でした。大学時代の親友が熊野の出身で、学生時代に初めて訪れてから、 ぼくは何度となく熊野に通っています。
前回は、春にその友人のお父さんが亡くなったことを知らずにいて、 その新盆の日にふらりと訪れて、友人をびっくりさせたのでした。もちろん、ぼくも不思議な偶然に驚くと同時に、「これは、 彼の親父さんに呼ばれたのだな」と納得してしまいました。18歳のときに父親を失ったぼくを、彼の親父さんはとても気に掛けてくれて、 ぼくにとっても父親のような存在だったのです。
その年、熊野は翌年の世界遺産発表を前にして、緊張したムードに包まれていました。 アプローチが大変で、東京から行くとなると、たどり着くまでに二日はかかるような僻遠の土地であり、観光資源はあっても、 なかなか多くの観光客が集まるというわけにはいきません。
それが、世界遺産に指定されれば、一気にメジャーとなって、 国内だけではなく海外からも観光客が訪れるようになってくれるだろうと、地元では「悲願」ともいえる期待を抱いていたのです。
2004年7月、その悲願は叶えられました。そのとき、熊野の友人は、 真っ先にぼくに電話で快挙を知らせてくれました。
今回の指定は、正式には 「紀伊山地の霊場と参詣道」とされ、 吉野、高野山、 熊野の主要なポイントと熊野へ詣でる「熊野古道」が指定されました。 ちなみに、現在、 世界中で750件あまり指定されている世界遺産のうち、巡礼路として指定されたのは、フランスとスペインにまたがる「サンチャゴ・ デ・ コンポステーラ」と「熊野古道」の二カ所だけです。
今回は、世界遺産に指定されてから初めての熊野訪問で、 じつは少し不安がありました。僻遠の地だからこそ、昔ながらの風景と自然が残り、人も素朴だったのに、 今では観光客が押し寄せて、俗化されてしまったのではなかろうかと……。
でも、それは杞憂でした。
■熊野古道、 東の入口伊勢神宮へ■
熊野古道は、中世に天皇が熊野三山に行幸したことで知られていますが、 そのルートは伊勢神宮を起点に熊野本宮へむかう「伊勢路」、同じく高野山を起点にする「小辺路」、 和歌山を起点に東へ紀伊山地を突っ切る形で進む「中辺路」、和歌山から海岸沿いを新宮まで行き、そこから本宮を目指す「大辺路」 の四つがあります。また、吉野から紀伊山地を縦断して本宮に達する修験道の道「奥駆道」 も広義には熊野古道に含まれます。
関東方面からアプローチしやすいのは「伊勢路」。 29日の深夜に東京を車で発って、中央道、東海北陸道、伊勢道と乗り継いで、30日の午前中には伊勢内宮に到着しました。
伊勢は高速が通ってアプローチが簡単なので、 さすがにICを降りたところから大混雑。でも、 さすがに大観光地として手慣れたもので、 市が五十鈴川の河川敷を駐車場として開放していて、 さほど待たされずに歩き始めることができました。
内宮の傍らを流れる五十鈴川に沿って、 川面を渡る初夏の風に吹かれ、素晴らしい新緑に目を潤されながら歩いていると、 今のこの季節が旅をするにはもっともいい季節であることを実感します。
例年なら、ゴールデンウィークの大混雑を敬遠して、 家でゴロゴロしているところですが、時間をやり繰りして遠出してきた甲斐がありました。
内宮へと向かう参道は、「おかげ横町」と呼ばれ、土産物屋や茶屋、 食堂が道の両側に建ち並んでいます。ここは、さすがに芋を洗うような人波。でも、いかにも伊勢詣といった雰囲気で、 これはこれで許せてしまいます。
伊勢は天皇家の氏神を祀るところとして知られていますが、 天皇が伊勢に参拝するようになったのは明治以降。 それまでは庶民の憧れの場所で、とくに、江戸時代には伊勢参りがブームとなって、 全国から伊勢講の参拝客が押し寄せました。 おかげ横町の賑わいは、そんな往事の様子を偲ばせます。
さて、このおかげ横町にはいろいろと名物がありますが、なかでも 「赤福餅」 は有名です。小さな茶屋から出発したこの店は、今では全国的にも名を知られた老舗となっています。
冬場、初詣の頃には通常の赤福餅の他に、 温かいぜんざいが用意され、初夏の今は宇治金時風に仕上げた赤福氷が用意されます。ちょうど夏日となって、日差しも強い今日は大人気。 奧の食券売り場で札をもらい、縁台に腰掛けて待つこと15分あまり。大盛りの赤福氷が届けられました。 抹茶のシロップがかかった氷のしたには、たっぷりの漉し餡。甘さはあまりくどくなく、スイーツ好きな女性はもちろん、 ふだんあまり甘いものを食べない人でも、ペロリと平らげてしまえそうです。
昔は長い道のりをここまでやってきて、こうした縁台に腰掛けて、 ほっと一息つきながら、甘い餅と渋いお茶で疲れを癒したのでしょう。
**ボリュームたっぷりの「赤福氷」と、吉野葛を使った目にも涼しい「水饅頭」 **
■伊勢神宮の杜■
**午後の日差しを受けて金色に輝く伊勢内宮。 太陽の神である天照大神を祀る社に相応しい神々しい光景だ**
おかげ横町を通り抜け、五十鈴川に掛かる宇治橋を渡ると、 雰囲気は一変します。幽玄で神聖な雰囲気の神宮の杜。木漏れ日の下は涼しく、踏みしめる玉砂利の音が静かに響きます。途中、 五十鈴川の河原に降りて、ここで手を清め、本殿へ。
いつ来ても、ここは心を引き締められるような場所です。戦前、 神道は国家神道として政治的に統制され、天皇制と無理矢理結びつけられてしまいました。その後遺症で、神道を毛嫌いする人たちもいます。
でも、神道の本当の姿は、自然を敬うものであり、「八百万の神」 というように、この世に存在する全てのものに神性を見いだして敬っていこうというものです。濃密な自然が息づいて、 それが誰でも敬虔な気持ちにさせる熊野の山々。そのとば口にあって、背後に広がる果てのない山並みを想像させる伊勢は、 まさに熊野の玄関口として、ぼくたちの心を引き締めてくれます。
江戸期の伊勢詣では、ほとんどの人たちは伊勢参りを済ませると 「精進落とし」といって、伊勢の周辺にあった花街で遊んで、それぞれの里へと戻っていきました。でも、少数ながら、この伊勢からさらに、 より険しくなる道を辿って熊野を目指した人たちもいました。
まず、伊勢に詣で、 ここからさらに熊野を目指した人たちの思いを想像しながら、この先の道を辿ってみよう。さらに、この先の旅が天気に恵まれますようにと、 天照大神に祈願して、伊勢を後にしました。
**左:五十鈴川に掛かる宇治橋。この橋を渡ると、 伊勢の神域に入る。ちなみに、冬至の日には、この鳥居の真ん中から太陽が昇ってくる。右:伊勢内宮の本殿へ。 この先は撮影禁止**
**今回は内宮付属の茶室が特別公開されていた。 参道からほんの少し逸れただけで、信じられないほど静謐な空間となる**
●参考リンク●
・レストラン麦酒蔵(ビアグラ)
伊勢の甘味として赤福と並んで有名な「二軒茶屋餅」 が運営する地ビールレストラン。大正ロマンを感じさせる蔵の中で、ゆっくり食事が楽しめる。値段もリーズナブルなのがうれしい。
・神宮会館
内宮の目の前にある宿泊研修施設で、一般の人の宿泊も受け付けている。 職員が早朝参拝の案内もしてくれるので、ここに泊まって早起きして内宮をお参りするのがお勧め。
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