「滅多なことは口に出して言ってはいけない」……それは祖母の口癖だった。
以前、このコラムにも書いたが、ぼくの父親が死んだとき、祖母(母方)は、その数ヶ月前に、 自分が口にした言葉を思い出して悔やんだ。
そのとき、祖母は否定的な言葉を吐いたのではない。うららかな春の彼岸の陽光が踊る散歩道で、「こんなに幸せでいいんだろうかねぇ… …」と、満足げに呟いただけだった。それは、ネガティヴな意味など微塵もない、心の底からわき上がった幸せな呟きだった。
そんな言葉を祖母は最期まで悔やみ続けた。
「あの時、なんで私はあんなことを言ってしまったんだろう……」
祖母は、ふとしたときにそのことを思い出して涙ぐんだ……ぼくは、そんな祖母の姿を思い出す度に、 言霊というものの深さと怖さを感じてしまう。
だから、人の口から信じられないような言葉が漏れると、それだけで、ぼくは凍りついてしまう。どんなに感情的に激しても、 絶対に吐いてはならない言葉というものがある。だけど、そんな言葉を平然と吐いてしまう人が、この世にはいる……。
言霊の怖さを知らないのは、親の責任だと思う。言葉を慎重に選ぶこと、それは人に対する思いやりということでもある。
思いやりのない親に育てられた子供は、言霊の恐ろしさを知らず、けして言ってはいけないことを言ってしまう。心でどう思っても、 それを飲み込めば何でもないことが、「言葉」として発せられてしまうと取り返しのつかないことになる。
今の世の中は、そのように発せられた恐ろしい言霊たちが飛び交っているのかもしれない。
熊野で神々しい自然と向かい合い、魂と自然との交流を実感させる静かな祈りに出会い、厳粛な祝詞を聴いた後では、 巷に溢れる心ない言葉=言霊が、あまりにも切なく感じられてしまう……。
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