ある風景に雑誌やWEBの写真で出会った瞬間に、 自分がいつかその場所に立つことを確信することがあります。 そのときの思い込みが暗示になり、 それが自分をそこまで運ぶ強い動機になるということかもしれませんが、では、どうしてその 「場所」に魅かれるのかは、 うまく説明できない。運命的な出会いというと少し大げさですが、 それに近いものを感じさせる瞬間があるものです。
しばらく前に、全国の巨樹巨木を調べていて、 ある気になる巨木とWEB上で出会いました。先日、ふと思い立って、奥多摩日の出町にあるその巨木、天然記念物「シダレアカシデ」 に会いに行ってみました。
甲州街道から奥多摩街道を経由して1時間あまり。地元の小さな鎮守、幸神 (さじかみ)神社の境内にシダレアカシデはあります。
神社の参道入口にそそり立つ樹齢700年というその樹は老木の風格がありますが、こんもりと繁った若葉には、まだまだ活気が感じられます。 何より目を引くのは、その枝振りです。大地の気がそのまま湧きあがって、うねりながら立ち上がってきたように幾筋もの襞が縒り合わさった幹。 そこから四方八方へ複雑にうねりながら伸びる枝。真っ直ぐ天に向かって伸び上がっていく杉などとは対照的に、 見方によっては伸び上がろうとする力を押さえつける重力と格闘し、 苦悶し苦痛と闘いながらそれでも伸び上がろうとしている健気な姿にも見えるし、 人間の目には映らない微妙な空間的なグリッドの中で最適な部分を繋いでいった結果がこの形になったようにも見えます。
この木と出会ったとき、はじめに思い浮かんだのは、「となりのトトロ」 のワンシーンでした。サツキとメイの姉妹がトトロからもらった木の実を庭に蒔くと、それが夜のうちに成長して、巨木となって、 そのてっぺんにトトロと登るあのシーン。このシダレアカシデの枝振りは、まさにあの一夜のうちに伸びた巨木そのものでした。
ときどき、ある風景や事物を目の当たりにしたときに、「感銘」 としか言えない気持ちが湧き上がってくることがあります。このシダレアカシデと遭遇したときに感じたのは、まさに感銘でした。
この樹は、大昔、山に自生していたものを神社の関係者が見つけて、 この場所に移植したものだそうです。
アカシデの突然変異種で、 世界中でもここにしかないというこのシダレアカシデは、たぶん幼樹の頃から人を魅きつけるものを持っていたのでしょう。今では、 すっかりこの土地のゲニウス・ロキと融合して....いや、この樹がこの場所のゲニウス・ロキそのものであり、 それを醸成しているといったほうがいいかもしれません。
ぼくは、このシダレアカシデと対面したときに、 逞しく生きることを教えられたような気がしました。坂の上から見下ろすと、若葉をこんもりと繁らせて、 全体として丸く穏やかな風貌にまとまっています。ところが、下に回りこんで見上げてみると、 複雑で非線形の基幹と枝が絡み合うように見えながら微妙な調和を保っている。それは、「生」という現象の本質を表すと同時に、 その美しさを象徴しているように思えたのでした。
このシダレアカシデは、 思い出すと心をなごませてくれる風景の一つになりました。そして、この場所は何度も訪ねたい場所になりました。
そうそう、ちょうどぼくがこの樹を訪ねたとき、 この樹の傍らにある幼稚園から子供たちが帰宅する時間にあたっていて、 子供たちと迎えにきた父兄と保母さんたちはごく自然にこの樹の下に集まって、和やかに話をしていました。 この樹に見守られて育った子供たちは、どんな人間に育っていくのでしょう。
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