クオリアという概念を知ったのは、もう10年くらい前になるだろうか?
微かな匂いや人の言葉の微妙な響き、肌でわずかに感じられる風の動きや光の暖かさ……そんなものから色が浮かび、 逆になにげなく目にした洋服やディスプレイの色彩から光や言葉や匂いや季節をふいに思い出す。 あるいはほんとに微かな感触がとても現実的な光景や体験を目の前に再現する。
そうしたことが子供の頃から頻繁にあって、それは一体何なのだろうか、もしかしたら病気なのではないか…… 本来ならありえない神経回路が例えば脳梁をまたいで連絡してしまうような、などとずっと疑問であり不安であった。
クオリアは、そうした匂いから色彩を連想したり、その逆だったり、 何かの感覚刺激によって別の感覚が呼び覚まされるといった現象を説明する言葉で、それはごくノーマルなことだと知ったときの安堵感は、 ほんとに底知れないものだった。
そんな「クオリア」をうまい記号として活用して商品化したのが、茂木健一郎だ。
単純に感覚転換や感覚陥入といった心理学的な見地からだけでなく、クオリアをもっと広義にとらえて、 それをデザインや商品開発に生かそうとし……失敗したSONYの「クオリアプロジェクト」は、 まさに彼がコンピュータサイエンス研究所で生み出したものだった(これは時代の先を行きすぎていたのかもしれない)、いまでは、 キーワードとして……たとえば、一時期思想界を席巻した「ポストモダン」といった用語のように、様々な局面を説明する「便利」 な術語として用いている。
でも、ぼくは実感としてクオリアをもっと狭義というか本来の心理学的な意味合いに戻して、 感覚転換の意味で使ったほうがしっくりくる。
今、発売中の「BURUTUS」-脳科学者ならこういうね!-は、鮮やかな黄色の地に黒いロゴのデザインだが、この配色は、まさに 「茂木健一郎」その人を思い浮かばせるんだよなぁ……この装丁をしたデザイナーも、あっさりとこの体裁に決めたような気がするのだが。
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