**野平集落を訪ねた11月12日は初雪。まだこの時点では、「雨に濡れるより、雪のほうがまし」などと、 気楽に構えていた**
かつて、冒険ライダーの賀曽利隆さん(現在同じ昭文社サイト内で『300日3000湯』 チャレンジが掲載されています)が、雑誌で「峠越え」という連載を続けられていました。
峠は、分水嶺でもあるような大きな峠はもちろん、小さな峠もあちらとこちらで文化や植生、気候などが異なり、 峠を越えて向こうに行くことは、どこか冒険の要素を孕んでいたものでした。
今回は、白馬の野平という集落の方々が、 白馬の峰々と姫川の谷を挟んで向かい合う東山の一角にある柄山峠を越える道を整備するというので、同行させていただきました。
この柄山峠越えの道は、糸魚川のほうからやってきた善光寺参りの旅人たちが通った、旧善光寺街道で、戦前までは人や牛馬が行き交い、 かなり賑わっていたそうです。野平の集落は柄山峠への白馬側の入口にあり、晴れれば、 姫川の谷を挟んで北アルプス白馬の峰々の絶景が見渡せます。
**今回は、野平の方々を中心とした有志の柄山峠越え道整備にお邪魔して、 道案内していただきながら柄山峠の「風切地蔵」を確認するのが目的だった**
戦後、南に車の通れる道が開かれ、その後の高度経済成長で、かつては賑わったこの街道もいつのまにか廃れ、 藪が繁茂してその道筋すらわからなくなりつつありました。
その後、このままでは貴重な歴史を伝える記憶が失われてしまうと、野平の人たちを中心とした有志が集まって、 柄山峠越えの道を復活させるべく活動を開始しました。
じつは、この柄山峠には以前紹介した「風切地蔵」 が安置されていて、遠く小蓮華山の頂とその麓の落倉、二つの風切地蔵と合わせて、冬至の日の出を示す方向に一直戦上に配されているのです。
不思議に、この三体の風切地蔵に結ばれたラインは、その北と南で雪の降り方が違ったり、植生が異なったりと、 まるで風切地蔵が形作る「結界」があって、それに白馬は守られているかのようにも見えるのです。
この風切地蔵ラインに注目して調べているところへ、なかなか案内なしには行けない柄山峠に登れる機会ができたので、 喜び勇んで出かたわけですが……。
**じつは、野平にもお地蔵さんが。他の風切地蔵同様に右手に錫杖、左手に玉のようなものを携えている。 よく見ると、持ち方に違いがあるが、そこには何か意味があるのだろうか? また、この二体の地蔵は、 GPSで測ると柄山峠の方向=真東を向いている**
**ちょうど小蓮華山-落倉-柄山峠を結ぶ「風切地蔵」ラインに沿って、 まるで雲が堰き止められているかのように流れていく(11月16日 下川守計氏撮影)**
……続く。
白馬の峠越えに引き続いて、晩秋の若狭を巡ってきました。
そちらでも、峠を越えると別世界が広がり、「峠越え」のロマンを感じました。
投稿情報: uchida | 2006/11/22 00:58
久しぶりにお伺いしましたら、たくさんの写真とレポート♪
時間を巻き戻しながら読み辿っています。
賀曽利隆氏の「峠越え」という連載のこと、
「分水嶺」、そして、
「峠を越えて向こうに行くことは、どこか冒険の要素を孕んでいたものでした」
と続く内田さんの言葉に、
真壁仁氏の「峠」という詩を思い出しました。
ワイン片手に、週末の夜の帳から・・・♪
投稿情報: wis | 2006/11/17 22:46