いつのまにか9月に入り、 夕暮れも早くなって秋を感じるようになってきました。今年の夏は夏らしい日が少なかったせいか、少々物足りなかった気がしますが、その分、 個人的には涼しい秋にフィールドでいろいろと楽しもうと目論んでいます。
また、秋はアウトドアにベストなシーズンであるとともに、 涼しい夜長に読書にふけるのもいいものです。そこで、今回は、一冊の本とともに、日本の「森」について少し触れてみたいと思います。
白洲正子著の「木」(平凡社)は、様々な樹相を持つ日本の自然を、 その多彩な樹木の代表的なものを取り上げて、 一つ一つに自分の思いと歴史や文化にまつわるエピソードを交えて紹介する白洲さんならではの繊細なエッセイです。
この中では、檜、柳、桐、松といった日頃馴染みのある樹木から、 樫、シナノキ、栃、楠、楮(こうぞ)、朴といった山に入らないとなかなか見られない樹木まで、多彩に紹介されています。
その中で、ぼくは、最初に紹介されている檜にまつわる話に、 心をひかれました。
木曽の中津川から西に入ったところに付知(つけち)という地域があります。ツーリングマップルの 「中部北陸」取材担当のぼくは、そのあたりは、富山方面へ抜ける際によく通るところなのですが、この本を読む前から、 このあたりの山の美しさに惹かれていました。
木曽は古くから林業が盛んな土地で、 檜や杉の林が今でもよく手入れされて美林を成しています。自然そのままの森の美しさもありますが、よく手入れされた森は、 それが人の営みと心の繊細さを見せるようで、どこかなじみ深い美観を持っているものです。そんな木曽の中でも、付知のあたりの檜林は、 特に念入りに手入れされていて、うっとりするような森林美を見せてくれます。
「木」の中では、そんな付知の美林の秘密を教えてくれます。 ここで紹介されているのは、付知の中でももっとも山奥に位置する一般の目には届かない森ですが、それは付知の森のコアになっていて、 その周囲にももちろん影響を与えています。
その付知のコアに当たる森は、「神宮備林」と呼ばれています。 神宮とは、伊勢神宮のことで、この森は20年に一度、社を新しく建て替える「式年遷宮」のために、 その建材として用いられる木材を供給するための森なのです。白洲さんは、その備林に足を踏み入れて「神山」 の雰囲気に包まれたと形容していますが、そんな由来を知らなくても、敬意を持って育てられた静謐が支配する森には、 神性がみなぎっているように感じられます。
伊勢神宮の建築様式は、「神明造り」と呼ばれるもので、 柱を堀り立て、茅葺き屋根の上に千木、樫木を置いて、切妻式となっています。この建築様式は檜の白木にとても合い、 建築全体の清潔な神々しさと檜の凛とした美しさが引き立て合っています。「ブルーノ・ タウトが世界中でもっとも単純でもっとも美しいと絶賛したことは有名だが、それも木曽の檜に負うところが多い」と、「木」 の中では語られています。
この夏のツーリング取材では、できればその「神宮備林」 にもっとも近い場所まで行って、そのコアの場所から流れ出てくる濃い神性の息吹を感じ取ってみたいと出かけていきました。
でも、残念ながら、 その手前で長雨による道の崩落に行く手を阻まれてしまいました。 代わりに、山向こうにあたる王滝や御嶽の北側、通称「裏木曽」のほうを巡ってきました。
この秋は、リベンジというわけでもありませんが、 あらためて付知を訪ねて、付知峡のあたりから、神宮備林に迫ってみようと思っています。
別に何かのアミューズメントやアクティビティがあるわけでもなく、 また開けた景色が楽しめるわけでもありませんが、ただ森や林に、そこの空気に浸りにゆくというのも、なかなかいいものですよ。
**伊勢神宮は20年に一度の式年遷宮で知られている。内宮の本殿はもちろん、外宮も含めて内外の摂社まですべて建て替えられる。 写真は右から"内宮入り口にあたる宇治橋"、"内宮奥宮"、 "奥宮の隣に置かれたミニ社は次の遷宮の土地であることの目印"。ちなみに、 遷宮にあたって解体された旧社の材は、縁の神社に回されて、そこで新たに建材として使用される。木材の生産からその再利用まで、 昔からエコサイクルが考慮されていた**
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