見境の無い行動力に溢れていた頃は、日常使う道具などどこにでもある使い捨てのもので良かった。だけど最近は「プレミアム」というほどのものではないにしろ、自分が求める「テイスト」が先行して、それに見合ったものを使いたいという欲求が強くなった。
どうでもいいようなことにこだわってしまうのは、バイタリティが退化したことにほかならないし、また、不惑も遠に過ぎてようやく物事の機微が少しは感じられる人間に進化したとも言える。何かを得ることと引き換えに何かを失っているわけだから、総体としてはずっと平衡しているだけなのかもしれないが……。
それはともかく、最近、読書する際には必ずシャープペンシルを右手に持っていないと落ち着かなくなった。筆記具はずっとペリカンとロットリングを愛用していて、これまでは読書のときには傍らにロットリングのトリオペンを置いて、本への書き込みは内蔵のシャープペンシルを使い、メモを取るときには黒と赤のボールペンを使っていた。
トリオペンは三つの機能を一本で使い分けられるので便利だったのだが、ふと、実用性一点張りのこのペンを持って本を読むと、分析的な心理になりがちなことに気づいた。
仕事のための資料読みばかりではないのだから、もっと自由な気持ちで本に向かいたい、それでもどうしても自分なりの考えを即座に書きとめておくための筆記具は欲しい……そんふうに思って試行錯誤するうちに、一本のシャープペンシルに落ち着いた。
プレミアムじゃないけれど、それなりにしっかりと作りこみされて、アルミのボディがずっしりとしたペリカンの最近のモデル。これにファーバーカステルの HBの芯を組み合わせる。太さは0.7mm。重い軸と柔らかい芯のおかげで、力を入れなくてもくっきりとした線や文字が残る。
このシャープペンシルを手に、読書しながら気がついたことはそのまま本にどんどん書き込んでいく。これは快感だ。滑りがいいので、別にメモを取りたいようなことも、そのまま活字の隙間にどんどん記していってしまう。筆圧をかけずに書いているから、後でべつにメモを取ろうというときは、書き写したらきれいに消しゴムで消すことができる。
鉛筆からシャーペンを使うようになると、少し大人になったような気がして、なんとなく誇らしかった幼い頃。中学に上がると、ペンでノートを取るようになって、「シャーペン」という言葉の響きが逆に子供っぽく感じられるようになった。
そしていつしかデジタル社会にどっぷりと浸かって、メモはモバイルPCで、スケジュール管理はPDAで、手書きの代わりにキーボードを叩いたりスタイラスを使うのがクールに思えるようになった。
そしてまた不惑を過ぎたあたりから、手書きの味を再認識して、手帳にペンを走らせるようになった。さらに進んで(退化して?)、気がつけばまた「シャーペン」の人になっていたというわけだ。
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