ずっと構想を練り続け、昨年末から青写真を作り始め、そして先月末から作業にとりかかった新生OBTが、ようやく公開にたどり着いた。
1997年の9月にそれまで関わっていたゲーム開発の仕事が一段落ついて、24時間臨戦態勢ともいえるパラノイア的な環境からふっと抜け出したとき、何か一つ自分のセンスだけで完結させる世界を作りたいと思った。
ぼくがしばらく身を置いていたゲームの世界は、瞬間瞬間に技術革新が生まれ、またハードウェアが恐ろしいスピードで進歩していく中で、高度に分業化されたパートが協力しあって途方もない世界を作り上げるというものだった。
自分の着想がデザイナーやプログラマーとの協同の中で、想像もしなかったようなリアルな3Dとして表現されていくプロセスは、とてもスリリングであり、それにジャンキーのように魅了された。
そんなゲームの協業と比べると、個人でできることは限られている。
しかし、自己だけで完結し、表現しきる世界というのも、それはとても大切なものではないかとデジタルの最前線から一歩引いたスタンスに立ったときに思ったのだった。
そして、ぼくが自分ひとりで表現しきることといえば、それは自分のアウトドア体験を綴ることだった。
高校時代に登山の世界に足を踏み入れ、20代半ばまでは憑かれたように山に登った。そして、自然にアウトドアライターという仕事に就くことになった。
それが気がつけば、いつのまにかデジタルの大波に飲み込まれ、その可能性に魅了されて、すっかりPCのモニタに向かい合うインドア生活が身についてしまっていた。
チームから離れて一匹狼に戻ったとき、ぼくは自分のスタンスを失いかけた。
だが、再び自然に目を向け、その懐に飛び込んでいくことで、ぼくは安らぎと余裕を取り戻した。
自分を育ててくれたのは自然だ。そして自然との共生がしっかりできてこそ、個人の心も社会も本当の意味で豊かになれる。
そんな信念を再認識し、それを表現する場としてぼくはWWWを選んだ。
OBTの8年間は、トップページの序文にも記した通り、様々なすばらしいコミュニケーションをぼくにもたらしてくれた。
昨年の10月、OBTから派生する形で出来上がった「LEYLINEHUNTING」の若狭ツアーに、G-Outfitterと野遊び屋の主催者である吉川氏が参加してくれた。
彼は、OBT開設の初期の頃からインタラクティヴに付き合ってきた仲である。
自らアウトドアアクティビティのアウトフィッターを運営する彼と、様々な話をする中で、これからは志を同じくする仲間同士がコラボレーションしながら、ネットを中心としたメディアで情報発信し、さらにみんなが「自然と人との共生を実感できる」アクティビティを提供できるようにしていこうと意見がまとまった。
その後、12月の「四国GPSクエスト」や今年2月の「八ヶ岳スノーシューツアー」を共催し、野遊び屋が主催する6月の「シーカヤックミーティング」にはOBTでの呼びかけに応じてくれたみんなと一緒に参加した。
そんな実践を繰り返すうち、すでにOBTを通じて交流を深めていた若狭のアウトフィッター「あそぼーや」や、OBTコミュニティの最古参メンバーであるニュージーランドのRyu.Takahashi氏とも、積極的なコラボレーションを行って、実践の機会を提供していこうと話がまとまった。
不思議なもので、メディアとしての充実とリアルな世界での実践をすすめていこうと決心し、アクションを起こしたとたん、さらに多くの仲間が集まって、アイデアがどんどん膨らみ始めた。
ぼくの内的な世界を表現する場として始まったOBTは、今、もっと広く公共性を持ったモノに進化しようとしている。
これからOBTを軸にした展開がどのように発展していくのか、想像できないが、これまでの8年間と同じように、自由に柔軟に、「人と自然との共生」に寄与する場でありアクションとして、展開し続けていきたいと思う。
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