今年の夏もまた天候不順や天災が続くのだろうか?
梅雨明けしたかと思ったら夏らしくない涼しい日が続き、さらに台風が関東を掠めて通り過ぎたら一気に猛暑となり、そして今度はまた梅雨のような気圧配置に……。
人のコンディションは当然天候に左右されるから、こう変動が激しいとバイオリズムもおかしくなってしまう。
台風一過の猛暑到来の翌日、久しぶりにオートバイを走らせて都内を抜け、利根川の河原へと向かった。
往路、普段は渋滞などない東八道路が混雑しているので何かと思ったら、なんと警視庁府中運転免許試験場の路上検定車が激しく追突され大破していた。
パトカーが何台も止まり、救急車も駆けつけて、たいへんな騒ぎ。
よく確認できなかったが、大破した試験車の後ろに停車していた別な試験車が追突したようだった。
復路、今度は練馬区内の道で宅配のトラックが路肩に停車していたバンに追突して、バンのドライバーは意識を失い、追突した運転手は、バンのウインドウを叩いて「大丈夫ですか! 大丈夫ですか!」と連呼している。
こちらは対向車線側にいるのですぐに救援には行けず、渋滞の列に並んで見ていると事故車の横に並んだ運転者は意地悪そうな笑いを浮かべながら「大丈夫なわけねぇだろ」と車から降りようともせず呟いている(口の動きではっきりと言葉がわかる)。
照りつける太陽とアスファルトの輻射熱でぼうっとしながら事故の光景を眺めていると、その光景が自分のふやけた脳が生み出した幻影ではないかと思えてくる。
1時間半かかって都内を抜け、利根川の河原にたどり着くが、こちらは遮るものがまるでない平地で、ただ立っているだけで蒸発してしまいそうだ。
小一時間、撮影と試乗をこなしただけで、明らかに熱中症の前駆的な症状が現れてくる。
電解質を含んだ水分を十分にとっているけれど、それを上回る汗をかいて、今度は消化器が悲鳴をあげる。そして、脳があまりにも熱くなりすぎて、運動神経がおかしくなってくる。
次の予定もあったので、慌てて切り上げて、途中の自販機でミネラルウォーターを買って、頭から被った。
脳が冷やされた途端、意識がはっきりして、体にも力が蘇った。
山道を走っているのなら、沢や湧き水でこうした休息がとれるけれど、都会ではそれが自販機なのが哀しい。それにしても、このミネラルウォーターでのクールダウンがなかったら、沿道で目撃した事故の当事者になってしまっていたかもしれない……。
その日は利根川から戻ると、シャワーを浴びて、食事を済ませ、夕方からの打ち合わせ兼飲み会に出かけていった。
熱中症の洗礼を受けていたので、我がCPUは熱暴走気味で、マジメな話をしているのに、場違いなギャグをかまして座を白けさせてしまう……。飲み会に移ると、その暴走具合がちょうど良く、えらく饒舌に……。
そこまでは、体調不良もまだ序の口だった。
終電に乗って帰宅し、着の身着のままで床に寝て、翌朝起きると、無性に体中が痒い。気も狂わんばかりに全身を掻き毟っていると、どんどん掻いた部分がミミズ腫れに……。
疲れが溜まっていたところに、急に寒暖の差があって、アレルギーを起こしたのだが、ふいに昔の嫌な記憶が蘇った。
20年前、シルクロードを巡った際、熱砂のタクラマカンで酷い下痢に見舞われた。
酷暑の中、脱水症状がおさまらず、高熱も続いて、意識が朦朧とする。ちょうどパミールへ向かう数日前で、重症の熱中症だから氷点下のパミールへ行けば回復するだろうと思った。
中国西域の町カシュガルから一気に高度を上げていくと、ぐんぐん気温が下がってくる。現地で渡された得体の知れない薬の効果もあったのか、寒くなるにつれて症状は改善していった。
そして、万年雪のピークに囲まれた盆地に緑が広がり、石造りの街が佇むタシュクルガンではすっかり回復して、桃源郷のような景色を楽しんだ。
当時、外国人に解放されたばかりの中パ国境クンジュラブ峠まで往復し、まったくの健康体に戻ったつもりで、再びカシュガルへと下っていった。
そして、カシュガルについて一夜明けると、全身を覆う猛烈な痒みに襲われた。
脇の下とか股の内側といった柔らかい部分から始まって、そこを掻き毟っているうちに、どんどん腫れが広がり、ついには全身が風船のようにパンパンに膨らんでしまった。
このときの旅に同行していた新疆政府のケースオフィサーは、ぼくのその状態を見て、血相を変えた。
そして、宿泊地の近くの病院の医者を連れてきた。
そのウイグル人の街医者は肝炎と診断した。
そして、一刻も早く設備の整った病院に行って治療をしなければ大変だと言う。
そのまま新疆人民政府の車に乗せられて、ぼくは200km先にある人民解放軍の病院に運ばれた。
天山南路を凄まじいスピードで飛ばす車から飛び去るタクラマカン砂漠の景色を眺めながら、これがぼくが目にする最期の光景になるのだろうかと思った。
人民解放軍の病院までかろうじて意識を保ったまま辿り着き、抗日戦争で片足を失ったというおばあちゃん女医さんに診察してもらうと、彼女はいとも簡単に薬疹と診断して、解毒剤のようなものを処方してくれた。
それを静脈注射されると、たちどころに腫れは引き、耐え難い痒みも収まった。
それから数日、ダメージを受けた肝臓を癒すためにこの病院に入院して三食ヨーグルトで過ごした。
その後、シルクロードを巡る旅から戻って、しばらくは何事もなく過ぎていったのだが……。
帰国して翌年、夏にとても暑い日があった。
その翌日、急に気温が下がり、さらにその翌日、また暑さが戻った。
その朝、脇の下から始まった気の狂いそうな痒みが全身に広がり、たちまち、あのシルクロードでの悪夢の再現となった。
これは数日安静にしていたら浮腫みも引いたが、それから数年は、同じような気温の変動があると、必ずあの肝炎を疑われた症状が再現された。
それも、10年も過ぎた頃には、帰国した後にも同じような症状に見舞われたことも、「喉元過ぎれば……」で忘れてしまった。
そして、先日、耐え難い痒みにのたうちまわりながら、あの最期の光景かもしれないと見やったタクラマカンの風景を思い出した。 幸い痒みも腫れも半日で引き、体が風船のように浮腫んでしまうこともなかったが、あの不安な気持ちで眺めたタクラマカンの光景や、その後の再発を思い出して、嫌な気分になった。
どうやら、体は過去の経験をしっかり覚えていて、いろいろ条件が重なったときにそれを再現してしまうものらしい。
あるいは、ぼくが歳をとって体力や抵抗力が衰えたのに乗じて、そんな記憶がまたくすぶり始めたのかもしれない。それにしても、天候不良が体調不良のトリガーになってしまうのは辛い。
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