今月3日から6日まで、四国香川の「野遊び屋」にご厄介になって、「シーカヤックミーティング」に参加してきた。
前回ぼくが参加したのは2001年の第一回のイベント。
特集のコーナーでもそのときの模様を紹介したが、あれから4年ぶりの参加だった。
前回は岡山県の牛窓で、地元のペンション「黒潮丸」が協力してのコラボレーションスタイルだったが、その後、主催者のG-Outfitterが「野遊び屋」として四国に拠点を築き、ここが文字通りベースとなった。
全国から50人あまりのビギナーからベテランまで多彩なシーカヤッカーが終結し、天気に恵まれ、湖のように凪いだ瀬戸内海に浮かんで、のんびりと漂った。
前回、アーバンアウトドアライフという話を書いたが、フィールドに出て風に吹かれると、「やっぱり大自然の中にいるのがいちばん」だと思う。
たぶんぼくは修行が足りず、芦沢一洋さんのように都会にあっても大自然と自分が繋がっているという意識をまだ明確に持てるようにはなっていないのだろう。
海に浮かんでぼんやりしていると、「ようやく自分の居場所に帰ってきた」という、なんともいえない安堵感に包まれる。
その昔、2ヶ月あまりのシルクロードの旅から帰ってきて、現地で出会った少数民族運動会(中国新疆のローカルオリンピックのようなもの)の紹介記事を『スポーツ批評』という雑誌に書かせてもらった。
そのときの担当編集者が日本人として初めてドーバー海峡横断を成し遂げた大貫映子さんで、初めて会った際に、大陸ボケをひきずっていたぼくが「東京の人ごみの中にいると、ペースが合わなくてほとんど廃人ですよ」とぼくが言ったら、彼女も「私もそう。自然の中にいないと自分じゃないみたいなんです」と朗らかに笑って、いっぺんで心が通い合った気がした。
大貫さんにしろぼくにしろ、アウトドアにいてなにかしら体を動かしていないと調子が出ないという「人種」なのだろう。そういう人種にとってアウトドアスポーツは単なるアクティビティではなくて、生活の主体、体や精神の拠り所なのだ。
シーカヤックミーティングで海に出たみんなは、海上やキャンプ地の砂浜で、みんな生き生きとしていた。それぞれに職業や立場は違うけれど、みんな自然から疎外されるとストレスがたまってしまう「アウトドア人種」なんだなとふと思った。
今、そんなアウトドア人種のための拠点が増えている。
単にサービスを提供するだけの観光業ではなく、ライフスタイルとしてのアウトドアをきっちりと体験できるプログラムを持ったアウトフィッターや宿。
シーカヤックやトレッキングが未体験でも、基本技術はもちろん楽しみ方まできっちり伝授して、さりげなくサポートしてくれる。またベテランなら気の置けない「たまり場」的に、そこで仲間たちと交流できる。
いずれも個々のアウトフィッターや宿が自分たちの持ち味を最大限に出すように工夫しているのだが、最近、全国に散らばるそうした拠点が連携するようになってきた。
連携といっても業務提携とか協会を作るといった堅苦しいものではなく、それぞれのスタッフが互いのフィールドを訪ねて個性の異なる自然を満喫し、そのすばらしさを訪れたお客さんにも紹介するといった形だ。この連携の中で、どこか一つのアウトフィッターを訪れたお客さんが、また別なフィールドの魅力を感じて、そこに足を運ぶ……そんなふうにして日本全国の自然を堪能して、「アウトドア人種」として目覚めていく。
そんないい感じの循環も生まれている。
ぼくもいずれは気に入った場所に自分なりのベースを築き、そこをアウトドア人種のたまり場にしたいと思う。
以前は、単に自分のライフスタイルを実現する場としてのカントリーライフをイメージしていた。
自然の中に身を置いて自分だけを開放できる世界への憧れ、隠遁生活ともいえるそんなスタイルは、じつは歪なのではないか。自然と共生するためには心が頑なではだめだ。そして心を開くということは人も受け入れるということではないか。最近、アウトドア人種との交流が増えて深まるにつれて、そんなふうに思えてきた。
ぼくなりのアウトドア人種たちが交流できるベースが実現するのはまだ先になりそうだが、今お勧めのベースを紹介しておこう。
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