いつも京王線の列車で通り過ぎるだけの明大前界隈へ今日は自転車で出かける。
京王線の車窓からは密集したビルと線路と並行して走る首都高4号線の高架ばかりしか目に入らないが、MTBのハンドルにマウントしたGPSを頼りに、わざと路地裏のような道ばかり選んで行くと、意外に緑が多いことに驚いた。
井の頭通り沿いにある輸入スクーター専門のショップでMTBからプジョーのモペットに乗り換えて、さらに永福界隈まで裏通りを行くと、あちこちにこんもりとした森や林をひかえた公園や神社が目につく。
そんな公園の一つに乗り入れて気の置けない古くからの仕事仲間とのんびり撮影仕事をしていると、フランス製のモペットが被写体ということもあって、ここが東京ではなくどこかヨーロッパの瀟洒な都市の一角のような気がしてくる。
東京も鉄道の駅の周辺や幹線道路沿いばかりに目を向けていると無機質で殺伐とした風景ばかりだが、少し足を伸ばしてみれば意外に緑が多くて静かな場所がある。
そんな都心の緑に目を向けて、そこを楽しむことを綴った名著がある。
『アーバンアウトドアライフ』、今は亡き芦沢一洋さんの珠玉の一冊だ。
もう20年もの昔、登山専門誌の見習い編集者としてアウトドアの世界に足を踏み込んだとき、その雑誌のアートディレクターを務めておられたのが芦沢一洋さんだった。
1960年代後半に、バックパッキングというアメリカ発祥の新しいアウトドアライフのスタイルを紹介し、それまで社会人登山や学生山岳部ばかりが目立つ泥臭い日本のアウトドアシーンに清新な風を注ぎ込んだ立役者だった。
山岳部出身者といえば、街にあってもどこか垢抜けず、無骨さがトレードマークだったりしていた頃、芦沢さんはスタイリッシュで、話し方やその内容、そして語り口も洗練された「ジェントル」という言葉がぴったりの人だった。
環七通りにほど近い自宅に表紙の見本刷りを持って訪ねると、狭いけれどとても心地よく木々が植えられた庭を広がりがあるように見えるように設計された居間に案内されて、冷たい飲み物をいただいた。
そこが大気汚染では一二を争う幹線道路の間近であることを完全に忘れさせてしまう静けさと木漏れ日に、デリカシーとは程遠い典型的な「山ヤ」だったぼくもなんともいえない安らぎを感じたものだった。
その自宅も「アーバンアウトドアライフ」の中で紹介されている。
また、他の出版社の仕事も忙しくこなされていた芦沢さんには、よく外でも原稿を届けたり引き取りに伺った。
よく指定されて行ったのが、新宿の京王プラザホテルのラウンジ「樹林」だった。
ここも広いガラス窓の向こうにまばらだけれど涼しげな樹林がある都会のオアシスのようなところで、もちろん本の中でも紹介されている。
アメリカンアウトドアの世界とその精神を日本に初めて紹介された芦沢さんは、ダイナミックな自然の中で遊んで学ぶことにかけては大ベテランだった。さらに身近な都会の中でも自然のテイストを感じ取って、大自然の中にいるように過ごす名人だった。
「アルプスやら、ヒマラヤやら、ヨセミテやらに行かなければ自然を感じられないというのは、貧しい精神だよ。身近なところにある自然を探して、感じ取って、それもヒマラヤの奥地にいるときと同じように楽しめてこそ、ほんとのアウトドアマンじゃないか」
都会の真ん中のとてものんびりした公園でカラスの鳴き声を聞いていると、そんな今は亡き大先輩の言葉がふいに蘇ってきた。
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