もう30年も付き合ってきた花粉症。
この数年はあまり酷い症状もなく、自然治癒に向かって行っているものと楽観していたが、なんのなんの今年はしっかりと旧交を温めに帰ってきてくださった。
クシャミや目のかゆみ、喉の痛みもさることながら、思考力が大幅に低下して、集中力もなくなり、物事全般に対する意欲が減退してしまうのが辛い。
3月の初めから4月の下旬まで、ほとんどルーティンのこなし仕事だけを片付けるのが精一杯で、気の利いたことなど何一つできなかった。
しかもこんなときに限って花粉にまみれるような表での肉体労働が続き、なんとか取材の間だけは意識を持ちこたえているけれど、いったん気が抜けてしまうとそのまま魂まで行方不明といったありさま。
この二月の間に、ぼくが不義理や失礼を働いてしまった人がいたら、それは花粉症による心神耗弱のためだったということで、どうぞお許しを……。
それにしても、ぼくのような基本的に世の中にあってもなくてもいいようなエンタテイメント系の仕事の人間なら花粉症でぼんやりしていても、生産性が落ちて自分の明日の生活が心配になる程度で世間に迷惑をかけることもたいしてないが、先日のJR西日本の事故のように人の命を預かる仕事では運営者側のコンディションや体制の陥穽なんてことを言っていられない。
あの事故の後、4月29日に京都から登りの新幹線に乗ったが、指定席の乗客は数人のみ。連休初日で帰省とは逆方向ということもあっただろうが、それにしてもあまりにも乗客が少なく、事故による鉄道離れもあるのではないかと思わされた。
連休の前半は遣り残しの仕事を片付けたり、雑用が重なってずっと自宅にいたが、5日から久しぶりに茨城の実家に帰省している。
こちらには母親と妹一家がいるのだが、妹の家で無線LANを導入したというので、これで茨城でも快適にネットにアクセスできると期待して出かけてきた。
ところが、新しモノ好きながらメカには疎くて設定は他人まかせという妹夫婦は、無線LANの設定の詳細を何も知らず、アクセスするためのパスワードも忘れてしまっていて、せっかくのブロードバンド環境もこちらは使えず仕舞い。
仕方ないのでAirEdgeを繋ごうとしたら、これはもう町中がサービス範囲外。妹の家で有線LAN環境を利用しようとすると、回線が一つしかなく、これが子供たちがはしゃぎまわっている今でしか使えず、結局、安心してPCを開くことのできる母親の実家のほうで、古い回線でダイアルアップしてアナログモデムによる接続となってしまった。
ブロードバンドの常時接続に慣れているため、メールチェックするにもいちいち回線を繋がなければならないのはいかにも億劫だし、何よりその都度通話料が掛かってしまうのがばかばかしい。
skypeを使ってのミーティングなども予定していたのだが、それも諦めて、休みは休みらしくネットとも距離を置いてのんびりすることにした。
はじめのうちは不自由を感じていたが、田舎のペースに慣れてくると、自分がテクノロジーに急かされていたことに気づかされる。
新しい技術によって便利になったり合理化されたら、その分、時間的なゆとりができるから、より人間的な営みの深みが増す……はずだったのに、知らず知らずのうちに「より新しい技術の開発や導入、さらなる合理化」というパラノイアに陥って、自分を追い詰めていたことに気づかされる。
JR 西日本の事故もそんなパラノイアに嵌ってしまった人間社会が招いた悲劇だろう。
たった数分の時間短縮のために汲々としたがためにあれほどの人数の人が亡くなってしまったなんともたとえようのないバカバカしさ。
マスコミはここぞとばかりに重箱の隅をつついてJR西日本を叩いているが、そもそも合理化を推し進めるように世間の雰囲気を誘導した責任が彼らにもあるはずだし、あの扇情的な体質はパラノイア社会の元凶そのものだ。
しばらく前にソローの『森の生活』について触れたが、これを久しぶりに読み返している。さらに図らずも時間ができたので、なにげなくカバンに詰めて持ってきていた『エリアーデ幻想小説全集』も拾い読みしている。
みんなが寝静まった真夜中や遠くから一番鳥の鳴き声が響いてくる早朝に、それぞれしみじみとした味わいの本を呼んでいると、他愛もない一つ一つの出来事にじっくりと時間をかけて向き合うことが少なくなっていたことに気づかされる。
そして、他愛ないと思ってやり過ごしてしまっているさまざまなことが、じつは人の心や体にとってとても大切なものであることを思い知らされる。
インターネット草創期には、ぼくも「ドッグイヤー」のハイテンションなペースが心地よくて、走り続ける快感をここに書きもした。それはそれでいいし、まだまだ元気に駆け回っていたいと思う。
でも、たまには落ち着いて他愛もないことに現を抜かす時間も持ちたいと思う。「忙中閑あり」……パラノイア的忙しさにあるときこそ、頻繁に他愛もないことに現を抜かす時間が必要なのかもしれない。
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