ふと書店で手に取ったパウロ・コエーリョの「悪魔とプリン嬢」。
花粉症のひどい状態の中で、朦朧としながらも一気に読んでしまった。
「アルケミスト」では無垢な少年のイニシエーションをモチーフにしてスピリチュアルな世界をファンタジーとして語り、「ベロニカは死ぬことにした」では退屈の果ての絶望から覚醒の輝きへの劇的な反転をドラマチックに描いて見せた。
もう一作「ピエドラ川の辺で泣いた」という象徴的な作品とされるものがあるが、ぼくはこれは読んでいない。
パウロ・コエーリョはスピリチュアルなテーマを扱う他の作家たちと似たような筆致で語っていくが、しっかりと現実に足場を持っていて、ともすれば作家自らが物語り世界に没入しすぎて宣教師となってしまう罠には嵌らずにいる。
物語の構成も、たとえば「聖なる予言」といった作品のように、作家が妄想の中に取り込まれてしまって支離滅裂なご都合主義に堕してしまっているのとは対照的に、精神主義の世界に深く入り込んでいきながら、破綻の無い物語構成を最後まで保っていく。
「善」一辺倒のドグマではもちろんなく、善悪、陰陽が常に混ざり合っていて、そこそこに皮肉も効いている。ボルヘスやマルケスと同じラテンアメリカ文学のテイストが心地良い。
「ベロニカ……」ではクライマックスで陰から陽への転換が劇的に起こって、読者は爽快なカタルシスを得られるが、「悪魔と……」では初めから最後まで善悪の微妙なせめぎ合いが続いていく。
善悪二元ではなく、善悪は全ての場所に並存していて、その時々でシーソーのようにバランスを変えていく。そんな世界観は、現実に即していて、自己内部の感覚にも合致して納得がいく。
神が持つ強さゆえの矛盾や無慈悲、悪魔が持つ弱さゆえの憐れみとでもいおうか、矛盾、ダブルスタンダード、ダブルバインドといったものこそが本質であり、だからこそ究極の問題解決や「真理」といったものはありえないことを『ほのぼの』と語る。
コメント