ケルトの伝説に「フェアリーリング」という話がある。
深い森の中で妖精が輪になって踊り、その跡にキノコが生えたもので、人が一人か二人はいれるだけの大きさの綺麗なリングになる。森で迷った猟師がそのリングの中に踏み込んでしまうと、猟師は夢のなかに永遠に閉じ込められてしまうという。
菌糸が四方に均一に広がりやすいカラカサダケなどがよく円形のサークルを作るけれど、妖精譚の挿絵などには真っ赤なベニテングタケが描かれることが多い。ベニテングタケは幻覚性のアルカロイドを含んでいて、シベリアのシャーマンなどは、これをイニシエーション儀礼などに用いるという。サークル状に生えたベニテングを道に迷って飢えた猟師が口にしたとすれば、彼は確かに夢の世界から出られなくなってしまったかもしれない。
一度だけ、そんな絵に描いたようなフェアリーリングに出くわしたことがある。
もう20年以上も昔、北八ヶ岳や霧ケ峰の麓など、しっとりとした森に魅せられてよく通っていたことがあった。ある霧の濃い日、北八ヶ岳の深い原生林で踏み迷い、苔むした森の中を必死になってルートファインディングしていたとき、ふいに小広い空間に出ると、そこに見事なフェアリーリングがあった。
周囲を見回しても、キノコの類は見当たらず、そこだけ暗い森にスポットライトが当たったように浮かび上がっていた。
すぐに「フェアリーリング」という言葉が思い浮かんだ。そして、躊躇なくそこに踏み込んだ。
踏み込んで、周囲を見回すと、何故か陶然とした気分になって、そのままそこで眠り込んでしまいたいと思った。そして、胎児のように膝を抱え込んで横たわった。
無味乾燥な都会の生活に戻るくらいなら、妖精の世界に遊んでいたほうが、まだましではないか。
横たわったまま、可愛い妖精たちが迎えに来てくれるのを待っていたが、とうとう迎えはやってこなかった。今思えば,あのときにベニテングを口にしていれば、間違いなく妖精たちがやってきただろうと思う。
ちょうどその頃、よく訪ねたキャンプ場があった。
北八ヶ岳方面へも霧ヶ峰や美ヶ原方面へもアクセスがいいビーナスラインの和田峠の麓にあるミヤシタヒルズオートキャンプ場。
ここは、元々山の斜面を食肉用の羊の放牧場としていたところで、東を向いた斜面が明るい草原となっていて、その頂上にオーナーの宮下幸治さんが手作した丸太小屋が建っていた。
どこか日本離れしたロケーションで、ここをベースにしてあちこち出掛けると、遠い外国の森、妖精たちが主役の森をさ迷っている気分が味わえた。
今回、通算で2週間あまりの取材旅行の締めくくりに久しぶりにミヤシタヒルズを訪ね、草原にテントを張った。
昔は、ここを訪ねると、オーナーの宮下幸治さんが照れくさそうな笑いを浮かべて一升瓶なぞ持ち上げ、こちらも子供のいたずらの共犯のように微笑み返して、まだ黄昏時からじっくりと酌み交わしたものだった。
朴訥と言葉を慎重に選びながら話す宮下さんは、彼が生まれ育った中山道の宿場町和田宿の昔話や、自分が羊の牧場を開くことになったこと、それをオートキャンプ場にした経緯などを話してくれた。
「ここは、ただの雑木林だったところを自分でコツコツと均し、伐採した木を自分で組んでログハウスを建てたんですよ。徐々にロッジも増やしていって……そしたら、この前、突然税務署がやってきて、ロッジの作りや広さを査定して、勝手に固定資産税を割り出して、来年からはこれだけ納めなさいって。私はもう悔しくて、そんなもの収めなくちゃならないなら、自分で作ったものなんだから、今すぐ自分で解体してやる、って怒鳴っちゃいましたよ」
なんて、彼には珍しく、興奮気味に話してくれたこともあった。
何も無い山の夜だったけれど、しんみりと話をしながら飲む日本酒はとびきりうまかった。
そんな宮下幸治さんも、6年前に若くして亡くなられてしまった。
今回は、連休前の金曜日に訪ねたが、サイトは貸切状態だった。秋虫の鳴き声だけが響く中、宮下さんと酒を酌み交わした思い出を噛み締めながら、時々、彼が端正こめて作ったサイトの土に、彼にお酌をするつもりで酒を流し、夜が更けるまでしんみりと飲んでいた。
今月は、父の33回忌でもある。
ぼくが18歳のときに死んでしまった父とは、じっくり酒を酌み交わすことも叶わなかったが、静かに盃を傾けるときは、父も傍らにいるような気がする。
翌朝は、雲が垂れ込め、時折その下端がサイトまで降りてきて、テントを濡らした。
キャンプを撤収し、せっかくだからと、雲海を期待して美ヶ原まで登ったが、そこは雲の真っ只中だった。
早々に美ヶ原を後にして山を下ると、道が、広大な白樺林に飲み込まれた。
濃いガスの中、亡霊のように白樺の木が立ち並んでいる。
思わずクルマを止め、その中に踏み込んだ。
「この奥には、いつか出会ったものと同じフェアリーリングがあって、ぼくを待ち構えている」
ふいに、そんな思いが頭を過る。
「今度は、その中に身を横たえて、ベニテングを食べよう。そうすれば、宮下さんや親父に出会えるはずだ」
ぼくの中のもう一人の自分が、そんなふうに呟いた。
>大国大東さん
近畿の五芒星の話がそんな昔にメディアに出ていたことを知りませんでした。
情報ありがとうございます。
ちなみに、江戸時代以前の日本では、地図を北に描く習慣はなく、むしろ南が上になっているケースがほとんどです。それに、五芒星にもべつに上下の区別はありませんので、「逆五芒星」という表現は無く、どちらの方向を向いていても「五芒星」です。
投稿情報: uchida | 2010/10/18 19:16
>ゆめさん
いつもありがとうございます。
自分の人生を振り返ってみると、心根の優しい人達に囲まれているんだなと、感謝の気持ちが沸き上がってきます……もちろん、正反対の人たちもいますが(笑)
投稿情報: uchida | 2010/10/18 19:12
きれいな写真とすばらしい文章が羨ましいです、
近畿逆五芒星布陣を知ったのは約40年前の高校生の時でした、
平凡パンチかプレイボーイだったと思います。
グラビア目的だったと思いますが、
今は誰だったか憶えていませんが、
近畿逆五芒星を解き明かす事になるとは思ってもいませんでした。
文章等に難がありますが、私のブログを訪ねてみてください、
大国大東
http://plaza.rakuten.co.jp/susano00kuni/
投稿情報: 大国 大東 | 2010/10/15 18:19
森で迷った猟師がそのリングの中に踏み込んでしまうと、夢のなかに永遠に閉じ込められてしまう「フェアリーリング」のお話、聞いたことがあるような気もしますが、そんな経験をお持ちとは凄いですね。
きっと心の澄んでいる人にしか降りて来ない天使のいたずらなのではないかと思います。
宮下さんのことやお父様のことを読み進むうちに胸が熱くなってしまいました。
『ゲゲゲの女房』の記事の時などはもう涙ぼろぼろ、泣きながら文字を追っていました。こちらへ伺うと心が洗われます。
投稿情報: ゆめ | 2010/10/14 21:16