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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.275
2023年12月7日号
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◆今回の内容
○始原の聖性とアート
・始原の聖性と供犠の聖性
・アートと聖性
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始原の聖性とアート
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前回は、産業化社会の中で「聖性」が失われていく「脱聖化」の話から、高度情報化社会に至って、新しい「聖性」が生み出される可能性について、今、世界を革新しつつあるAIであるChatGPTとの「対話」から糸口を見つけてみようとしました。
その後、まさにChatGPTのリリース元であるOpenAIで大騒動が持ち上がったのは、みなさんもご存知のことと思います。CEOのサム・アルトマンが役員会によって突然解任された後、CEOを辞任し、マイクロソフトへの入社を発表するものの、OpenAIの社員のほとんどがアルトマン解任に抗議して役員会に辞表を提出、アルトマンはOpenAIに復帰したというものです。
飛ぶ鳥落とす勢いのIT企業のトップが突然解任されたといえば、スティーブ・ジョブスがアップルのCEOを解任された事件を思い出します。ジョブスのケースでは、その後アップルは凋落し、それを復活させるべくジョブスがCEOに返り咲くまでに12年間かかりました。ところが、今回の騒動では、事態は刻々と変化して、アルトマンはわずか5日でCEOに戻り、役員会が再編されました。
ChatGPTが登場してちょうど1年が経ちますが、この一年の間に、ジェネレーティブAIいわゆる「生成AI」は凄まじい進歩を遂げ、社会を根本的に改変しつつあります。アルトマンを巡るクーデタと復活劇の目まぐるしさは、そうしたAIの進歩のスピードと重なって見えます。
前回、私がOpenAIのシステムを使って、様々なChatbot(アプリ)を制作していることに触れましたが、この騒動でOpenAIのサービスが停止したり、会社そのものが傾くといったことになったら、せっかく作ったアプリも無駄になってしまうわけで、その中には以前から構想していていたレイラインハンティングを飛躍的に効率化できる「聖地メーター」の試作アプリもあったので、気が気でなく事態を見守りました。
OpenAIを巡るこの「事件」の背景や真相についていろいろ取り沙汰されていますが、かなり有力だと噂されているのは、人類滅亡に繋がりかねないAIのあまりにも早い進歩に危機感を持った役員たちが、アルトマンの性急なAI開発と製品リリースに歯止めをかけようとしたものではないかといった説です。
その真偽の程はわかりませんが、OpenAIが実現させようとしている人間の知能をはるかに超えるAGI(汎用AI)が生まれれば、社会が根本的に変容するのは間違いありません。そんな「兆し」は、前回の私とChatGPTのやり取りからも感じられたのではないでしょうか。
アルトマンは、2024年には、AIによって世界が大きく変わると断言していますが、彼が既定路線を踏襲すれば、本当に年明けには大きな変革が起こっているかもしれません。そこには、前回も触れたような「新たな聖性」の創出も含まれるかもしれません。
OpenAI事件のショックのせいで、少し前置きが長くなりましたが、今回は、前回お知らせしたように、聖性の本来の意味について触れてみたいと思います。
●始原の聖性と供犠の聖性●
前回、私たちが聖性を意識する場面として、日常の「ケ」の時間との対極にある祭りのような「ハレ」の時間を例としてあげました。祭りや儀式というのは、人間が聖なるものの存在を感じるために演出されるものであり、だからこそ、特定の時間や場所である必要があったわけです。
それが、産業社会の効率優先や合理性優先といった都合によって、時間や場所がずらされてしまうと、本来の意味を失い、聖性も薄れてしまう。それが、ミルチャ・エリアーデが唱えた「脱聖化」の大きな要因でした。
しかし、私たち人間には、根源的に聖性を感じ、それを求める欲求があります。それがなければ、ただの機械と同じになってしまいます。聖性の観念は、モラルの源泉でもあり、聖性が感じられなくなった人間は、「人ならざるもの」となってしまうと言ってもいいかもしれません。
だから、「脱聖化」といっても、聖性が完全に失われてしまうということは考えられない…人間性を完全に捨て去ってしまえば別ですが。逆に、聖性が薄れてゆくことに危機感を持って、それを取り戻そうとする意識も強くなってくるはずなのです。
エリアーデは、そうした私たちの心の根源にある聖性を「ある種の原初的啓示」と呼び、それが消滅することはないと言います。もっともテクノロジカルな文明においても、変わりえない何かがある。昼と夜、冬と夏があるのだから、樹木のない都市においても、天体のある空があり、常に星と月を見ることができる。昼と夜、冬と夏がある限り、人間は変わりえない。光闇、夜昼というリズムは常にあり、人はみなこの宇宙リズムの中で生きています。
いいかえれば、自然こそが聖性の根源であり、そこから「ある種の原初的啓示」が発しているということです。
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