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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.273
2023年11月2日号
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◆今回の内容
○能に隠されたメッセージ
・能の歴史と秦河勝
・能に秘められたもの
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能に隠されたメッセージ
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以前から、能の演目の多くが、亡霊やあの世、隠された神や虐げられたり悲運に見舞われた人物などをテーマにしていることを不思議に思っていました。
そもそも、能舞台の背景を飾る鏡板に描かれた老松は、能がはじまったとされる春日大社にあった「影向(ようごう)の松」で、神の依代とされる御神木ですから、神を下ろす神事であることははっきりしています。
さらに、 世阿弥が「夢幻能」を創始して、神や霊、モノの精などを主人公(シテ)として、旅人(ワキ)と出会うことで、それがこの世に立ち現れて伝説や身の上を語るという形式を完成させたわけですが、世阿弥は、何故「この世ならぬもの」に焦点を当て、それこに深い思いを込めたのか。
「清経」では、源平合戦の最中に戦うことの虚しさから自害した平清経が、無事の帰還を祈る妻の前に亡霊として現れて、自分の最期の瞬間の思いを語ります。「高砂」では、神である尉(じょう)と姥が、長寿と夫婦愛の象徴として登場し、<千秋楽は民を撫で>という謡で仕舞います。<高砂やこの浦舟に帆をあげて>という祝言の謡もこの演目が元ですね。
ほかに、天女と浜の漁師との出会いと別れを題材にした「羽衣」、虐げられた先住民の無念を表現した「土蜘蛛」、美女に化けた鬼たちの宴に巻き込まれた武将の顛末を描く「紅葉狩」、吊り鐘に隠れた愛しい男を蛇体となって焼き殺し、さらに再興の鐘にまで祟る女のすさまじい執念を描く「道成寺」。
玄賓僧都と麗しい女性の姿となって現れた三輪明神の交流を描いた「三輪」では、<思へば伊勢と三輪の神、思へば伊勢と三輪の神、一体分身の御事、いまさら何と磐座や>と、三輪の神と伊勢の神が同じであることを匂わせるような場面があったりします。
深い憂愁を帯び、神秘的でもあり、そして暗示的でもある。能という伝統芸能には、何か秘められたメッセージがあるように思われるのです。当然、そうした能の舞台となるのは聖地であり、歴史的な因縁が染みついた土地でもあります。
そんなことから、今回は、一般的な芸術論とは違う観点から、能について考えてみたいと思います。
●能の歴史と秦河勝●
能は、奈良時代に、中国から伝来した古代舞楽の「散楽」と日本の「神楽」が融合して猿楽(申楽)となったのが始まりとされています。さらに、室町時代に大和猿楽で活躍した観阿弥と世阿弥親子が、今に伝わる能を完成させました。とくに世阿弥は、『風姿花伝』を著して、能の歴史と修行の作法、そして奥義を後に伝えるという大きな役割を果たしました。
その『風姿花伝』の中で、世阿弥は、申楽=能は神代にはじまると記しています。
「天照大神が天の岩戸に隠れた時。天下は常闇となってしまったので八百萬の神々が 天の香具山に集まった。そして大神を誘い出そうとして岩戸の前で、神楽を奏し細男(せいのう)の散楽(さんがく)を始めた」。
ここに記された細男とは滑稽な演技が特徴の古舞で、奈良春日社若宮の御祭で代々行われてきたものとされます。散楽は先にも触れたように奈良時代に唐から持ち込まれた技芸で、曲芸、軽業、奇術を含んだ俳優(わざおさ)のことです。
風姿花伝の内容を続けます。
「さらに、踊り手の中から、天鈿女が進み出て、榊の枝に幣をつけ、声をあげ、庭火を燃やし、踏み轟かす。神憑って歌い、舞い、奏でる。その声が岩戸の内へもかすかに届いたものか、大神は少し岩戸をお開けになった。国土はふたたび光に満ち溢れる。神々面も照らされ白く見えた。この時の神々の遊舞を申楽の起源とするとか」(『風姿花伝』水野聡訳 PHP研究所)。
これは、世阿弥の時代以前から伝わっていた話で、一般論といえるものですが、世阿弥は、さらに秦氏の族長であった秦河勝(はたのかわかつ)が創始したという話に続けます。秦河勝は聖徳太子の同志ともいえる人物で、崇仏廃仏の争乱の際に物部守屋の首級をとって武功をあげたともされています。ところが、その生い立ちから伝説めいた謎の多い人物です。
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