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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.265
2023年7月6日号
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◆今回の内容
○神話と共同主観
・神話という共同主観
・人間至上主義という共同主観
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神話と共同主観
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6月30日は、全国各地の神社で夏越の祓が行われました。本来は、夏越の祓は夏至に、大祓は冬至に行われるもので、一部の神社では今でも古いしきたりどおりに夏至と冬至に行われています。また、夏至から6月末日まで、冬至から大晦日まで通して行われているところもあります。しかし、ほとんどが6月末日と大晦日の儀式となっています。
これは、明治以降にグレゴリウス暦のカレンダーが導入されて、それに合わされたものです。私も、どうも釈然とはしないものの、6月30日には、以前から気になっていたスサノオを祀る神社に参拝に行きました。
今、私が住んでいる茨城県鉾田市の隣、小美玉市にある素鵞(そが)神社は、旧盆に行われる祇園祭で有名です。本家京都の祇園祭が八坂神社の祭神であるスサノオに病魔退散を願うのと同じく、やはり祟り神としての性質を持つスサノオに祈りを捧げて、その祟りに触れないように願うものです。
夏越の祓でも大祓でも、参道に設えられた茅の輪を潜り、これを八の字を描くように巡ります。これは一種の呪(まじな)いで、祟り神から姿を消すという意味を持っています。また、これに合わせて、紙を切り出した人形(ひとがた)に自分の名を書いて、それを身代わりとすることで病魔や悪縁を避けるといったことも行われます。
茅の輪潜りは、蘇民将来の神話を元にした儀式で、『備後国風土記』の疫隈国社(えのくまのくにつやしろ。現広島県福山市素盞嗚神社に比定)の縁起に見られるのをはじめとして、全国各地に広がっています。
天界から地上へと降り立って旅をしていた武塔(むとう)神が、一夜の宿を裕福な巨旦将来に請いますが、巨旦はこれを無下に断ります。そこで、武塔神は近くに住む巨旦の兄の蘇民将来の小屋を訪ねます。貧しい生活をしていた蘇民は粗末なことを詫つつ、心よくもてなしました。翌日の出発の際、武塔神は蘇民にむかって、厄除けに茅の輪を軒に掲げるように言って去ります。
時をおいて再訪した武塔神は、祟り神であるスサノオの正体を現し、茅の輪を掲げた蘇民将来の家族以外は、巨旦将来一族を皆殺しにします。そして、蘇民には、以後、茅の輪を付けていれば疫病を避けることができると教えて立ち去ります。この神話が語るように、茅の輪潜りというのは、そもそもスサノオを祀る神社に伝わる儀式です。
小美玉市の素鵞神社は小規模ながらも趣のある社殿を構え、落ち着いた佇まいを見せる社です。台地の際に立つ社殿に向かって一直線に伸びる参道はきれいに掃き清められ、その中ほどに、腰を屈めてようやく通れるほどのサイズの可愛らしい茅の輪が設けられていました。雨が降りかかり、湿った藁がしなって、少しいびつな形になっていたりするのも、それがまた素朴な手作り感を醸し出していて、まさに「村の鎮守」として愛されていることを微笑ましく感じさせます。
スサノオを祭神とする神社は全国的にも少ないので、最近の神社ブームに加えてポストコロナの厄除けにさぞかし参詣者も多いだろうと想像していたのですが、意外にも数人の姿があるだけで、閑散としていました。なんだか肩透かしを食ったようでしたが、ゆっくりと落ち着いた場の雰囲気に浸れる、いい時間が過ごせました。
その後、鹿島神宮はどうなのだろうと好奇心が湧いて、そちらも訪ねてみることにしました。素鵞神社からは、霞ヶ浦沿いに南下して40分ほどの距離です。こちらは、関東でも屈指の大社ですが、祭神は国津神であるスサノオとは対照的な天孫系のタケミカヅチであり、これは典型的な武神ですから、本来は茅の輪潜りは関係ありません。
立派な鳥居を潜り、間口三間で二階建て、朱塗りの堂々とした楼門を抜けると、そこには素鵞神社とは比べ物ならない立派な茅の輪が設えられていました。茅の輪の手前には厄除けの人型がテーブルに並べられ、神職が厄除けの作法を案内しています。さらに、茅の輪の端に掲げられたスピーカーからは、夏越の祓と茅の輪潜りの由来についての解説が流されています。
こちらは、参拝客も多く、案内されるまま次々に人形に名前を書いて、それに息を吹きかけ、浄財とともに安置箱に納め、しずしずと作法にしたがって茅の輪を潜っていきます。先にも書いたように、今では多くの神社で見られる六月三十日(みそか)の光景ですが、茅の輪とは本来、縁もゆかりもないこの社で盛大に行われている様子には、なんともいえない違和感があります。私は、人形には目もくれず、茅の輪も素通りして、奥宮のほうへ進んでいきました。
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