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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.240
2022年6月16日号
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◆今回の内容
○縄文の精神とアイヌ
・祖霊信仰と縄文・アイヌ
・イノシシ送りとイヨマンテ
・縄文の大建築とアイヌのチャシ
・補記『チキサニ』
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縄文の精神とアイヌ
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先日、日本橋高島屋で開かれている『まれびとと祝祭』展を観てきました。
「まれびと」とは、折口信夫が提唱した概念で、この世ならぬところからやってきて、災厄をもたらしたり、逆に災厄を追い払って、またこの世ならぬところに帰っていく”モノ”を指しています。「来訪神」と言い換えることもできます。
海に囲まれた日本列島は、古来、そうした「まれびと=来訪神」がやってきた伝承が多く残り、その記憶が祝祭として形を留めています。
この展示会は、先年、ユネスコ無形文化遺産に登録された日本に残るまれびと=来訪神の祝祭を岡本太郎と石川直樹が記録した写真を主にしたもので、男鹿のナマハゲや吉浜のスネカ、宮古島のパーントゥ、甑島(こしきじま)のトシドン、それに悪石島のボゼといった、妖怪のような異形の仮面・仮装人が迫ってきます。
今でこそ全国・全世界に知られたこの異形のまれびとたちは、かつてはその地方だけの秘祭の主人公であって、たまたまよそ者が目撃したとしたら、腰を抜かすようなものだったでしょう。なかには、昔の特撮怪獣ものに出てきそうな怪獣や宇宙人のようなものもあって、こうしたところからモチーフを借りたのではないかとも思わせます。
この会場では何本かのショートムービーも流されていました。それもとても興味をそそるものでした。バルタン星人を思わせるようなまれびとが島じゅうで暴れまくるボゼ、沖縄の女神信仰を伝える最大の祭りであり沖縄独特の巫女であるノロのイニシエーションである「イザイホー」の記録フィルム、そして、1930年代に記録されたアイヌのシャーマニスティックな祭儀などです。
イザイホーとアイヌの祭儀は、今では廃れてしまったものですから、その民俗学的、文化人類学的価値も非常に高い記録といえます。
中でも、アイヌの祭儀はとても印象的でした。神道の幣を思わせるイナウ(削り花)を打ち振り、汚れを祓ったり、病気の人の厄を落とそうとする。それは、神道の祭儀に通じながらも、もっと古い様式を秘めているように見えます。
長く旭川市博物館の学芸員をつとめ、地道なフィールドワークでアイヌの交易民としての文化背景を明らかにした瀬川拓郎(現札幌大学教授)は、アイヌの習俗や生活様式の中に、ずっと縄文文化が受け継がれてきたことを数々の論文で証明しましたが、まさに私たちの心の古層にある縄文文化が、そこに感じられます。
2021年7月27日、北海道・北東北の縄文遺跡群が「世界文化遺産」に登録されました。北海道・北東北という地域は、まさにアイヌが長い間生活圏としてきたところであり、彼らの文化や習俗と縄文の文化が重なっている場所ともいえます。
30年あまり前、私はアイヌに伝わる古い風習を求めて北海道各地を巡りました。その年は、国連が定めた国際先住民年にあたり、アイヌがホスト役をつとめて、世界中から北海道に先住民の代表たちがやってきて、シンポジウムやイベントが開かれました。イベントの中には、道東の釧路にある達古武沼で行われた、「チプサンケ=舟おろし」という儀式などもありました。
アイヌの習俗を訪ねて歩いていると、なにかとても懐かしい気持ちになりました。それがどうしてなのかを知りたくて、彼ら特有のアニミズム的な考え方興味を持ったのが、今、こうして聖地をテーマにすえて研究することの発端にもなりました。
それから10年あまり後、 後に世界文化遺産に指定されることになる北東北から北海道の縄文遺跡を巡り歩き、そこに明確に現れている太陽信仰と、太陽を崇めるためのストーンサークルや建築遺構の壮大な規模とその設計の精密さに圧倒されたことが、私をレイライン研究に向かわせる決定打ともなりました。
今回は、この聖地学講座を開始してからちょうど10年、第240回という記念すべき回になりました。そこで、私の聖地学研究の原点ともいえるアイヌと縄文について触れてみようと思います。
●祖霊信仰と縄文・アイヌ●
「日本列島の最初の居住者は後期旧石器時代に移動してきた東南アジア系の集団で, 縄文人はその子孫である。弥生時代になって第2の移動の波が北アジアから押し寄せたため, これら2系統の集団は列島内で徐々に混血した。この混血の過程は現在も続いており, 日本人集団の二重構造性は今もなお解消されていない」(『二重構造モデル:日本人集団の形成に関わる一仮説』(埴原和郎 人類誌1994))。
これは、埴原和郎をはじめとした人類学者が提唱した形質人類学の二重構造説ですが、後にヒトゲノム解析によって裏づけられました。それによれば、日本の本土人は弥生時代以降に大陸から渡来してきた東アジア人と縄文人が混血した人々で構成され、朝鮮半島の人々と近縁で、縄文人に特徴的な遺伝的要素も色濃いというものです。 さらに、琉球人のDNAは本土人よりも縄文的要素が強く、アイヌではそれがさらに強いというものでした。
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●補記『チキサニ』●
1990年、国連が「世界先住民年」と定めたとき、それを意図したわけではなく、偶然なのですが、一つの物語を書きました。アイヌに伝わるある伝説をモチーフにして、アイヌ=縄文の心性に分け入っていくといった内容です。後にKindleで出版しましたが、現在は、noteで全文を公開しています。 今回の記事で、アイヌに興味をもたれたら、ぜひこの物語『チキサニ』も読んでみてください。 ちなみに、チキサニとはハルニレのことで、私が実際に訪ねたアイヌの集落にあった巨木をイメージしてタイトルにしました。小さな集落をその木陰に守るように佇むチキサニは、まだ若かった私に「宇宙樹」を想像させました。
『チキサニ ―巨きなものの夢』
https://note.com/dcl_issey/m/m35089f453033
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