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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.233
2022年3月3日号
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◆今回の内容
○右脳的信仰と左脳的信仰
・「二分心」仮説
・多神教=右脳的信仰、一神教=左脳的信仰
・民族存亡をかけた信念
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右脳的信仰と左脳的信仰
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ロシア軍がウクライナに侵攻してから一週間が経ちます。はじめてこのニュースに接した時、「いくらなんでも本気で正規軍を侵攻させるとは」と信じられない気持ちと、「プーチンなら間違いなく侵攻させると思っていた」という、二つの相異なる気持ちが一気に押し寄せてきました。
その後、世界はこの侵攻を極めて理不尽なものとして非難し、大きな経済制裁を加える方向に動き、さらに世界中でそしてロシア国内で平和を希求する運動と祈りが広がっています。
ですが、もっとも重要な当事者であるプーチンにはそんな思いは届かず、彼はひたすら自分が据えた戦略的な目標に向かって進んでいるだけのように見えます。
この侵略を一も二もなく非道であり、人が人を殺すことの愚かさに身が竦みます。そして、この悪夢が一刻も早く終わるように祈りたいと思います。しかし一方で、人生の大半を諜報活動の中に身を置き、いまだに生え抜きのKGB将校としての「誇り」を持って、恐怖政治が支配したソ連時代の再来を望んでいるプーチンという人物には、とうていそんな思いは届かないとも感じてしまいます。彼は、徹頭徹尾論理的で、目的のためにはどんな手段も辞さないという強い覚悟を持って生きてきたのですから。
今、世界が置かれている状況を見ると、社会の分断が叫ばれる中、もっとも大きく深刻な問題は、極端に情緒的な人間と極端に論理的(実利的)な人間という両極にどんどん分かれてきていることなのではないかとも思えてきます。
神話や聖典の研究者の間では、よく「ミニマリストとマキシマリストの分断」ということが言われます。
ミニマリストは、神話や聖典は、そこに描かれた出来事の起こった時代よりもずっと後の時代に記されたもので、その内容のほとんどは創作であると考え、史料価値を「最小限(ミニマル)」にしか認めない立場です。
一方、マキシマリストは、神話や聖典の記述が、それが描く出来事の時代にまで遡る何らかの記憶や資料にもとづいて書かれているととらえて、その史料価値を「最大限(マキシマル)」に認める立場です。もっとも、マキシマリストといえども研究者ですので、神話や聖典の内容が現実に起こったことであると考えている人はいませんが…。
このミニマリストとマキシマリストという概念を極端に拡大すると、いっさいの情緒を切り捨てて冷徹に物事を見るミニマリストと、祈りは必ず届くと信じて情緒に訴えかけようとするマキシマリストに分かれるように思えます。
人の思考はミニマルとマキシマムの間のどこかにあって、それも事象によって動くのが普通です。ところが、いっさい情緒的に考えないプーチンや彼が属していた諜報戦のプロたちはミニマリストの極にあって動きません。そこにいくら情緒的に訴えても効き目はなさそうですし、ひたすら平和を祈るだけというのも虚しい行為に思えてしまうのです。
今回は、そんな気持ちを起点としつつ、今回の危機が去って、人間があらためて戦争の愚かさに気づくことを<祈って>、この分断の起源を考えてみたいと思います。
●「二分心」仮説●
動物行動学者であり認知心理学者でもあったジュリアン・ジェインズは『神々の沈黙』(紀伊國屋書店)の中で次のように記しています。「遠い昔、人間の心は、命令を下す 神"と呼ばれる部分と、それに従う"人間"と呼ばれる部分に二分されていた」。
ジェインズは、人とチンパンジーの祖先が分離したのが700万年前で、この時点で人類には「意識」というものがが無く、それが芽生えたのは3000年あまり前のことだと主張します。
そして、ギリシャ叙事詩『イーリアス』に登場するアキレウスを例にあげて、「彼は、自分の意思で行動するのではなく全て神の指示に基づいて行動していた。アキレウスは神による訓戒の知識は持っていたが、それをもとに自発的に行動することはなく、何をすべきかを神が告げるのを待つだけだった」と続けます。
こうした心が分離した状態をジェインズは「二分心(Bicameral Mind)」と定義しました。そして、彼はこの状態をもたらすものを脳の生理学的な特性に求めました。
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