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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.234
2022年3月17日号
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◆今回の内容
○春分にちなんで原点を振り返る
・浅間神社から寒川神社へ
・上総一ノ宮玉前神社
・閼伽井嶽薬師常福寺
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春分にちなんで原点を振り返る
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ロシア軍のウクライナ侵攻から3週間あまりが経ちましたが、いまだ終息や撤退の目処も立たず、キエフ包囲網は狭まって犠牲者も増え続けています。
当初は電撃戦によって3,4日で降伏を促して傀儡政権を樹立する目論見でいたようですが、そのあては外れて、凍りついていた大地はぬかるみ、立ち往生したところを迎撃される戦闘車両もたくさんあって、ロシア軍側も悲惨な状況になっています。
かつてナチスドイツはソ連に侵攻した際に、やはり短期の電撃戦で決着をつけるつもりであったのに、長期戦に引きずり込まれ、本格的な冬の到来に戦闘よりもそれで消耗して退却したということがありました。今は、かつてナチスドイツを敗走に追い込んだロシア人の軍隊が春という季節に翻弄されているわけです。
人間がいかに武力に訴えても、季節の営みには勝てないともいえます。できうれば、この愚かな侵攻がウクライナの春に阻まれて終息してくれればと願うばかりです。
そんなことを思いつつ、この春の私はといえば、近年になかった花粉症のひどい症状に見舞われています。昔は、春先になると花粉症でほとんど廃人状態となり、この季節の到来を恐れていたものでしたが、年を追うごとに症状が薄らいできたので、すっかり安心していました。
この3年ほどは、今の時期は福島県いわき市のプロジェクトで、春分のご来光を地元の名刹である閼伽井嶽薬師で迎えるイベントが続き、今年はコロナの影響で公式のツアーやアテンドはなくなったものの個人的に訪ねてみようと思っていたのですが…。
閉め切った部屋におとなしく籠もって、今まで過ごしてきた春分の一日を振り返るうちに、レイラインハンティングというフィールドワークをはじめたばかりのことを思い出していました。
そこで、春分の日を目前にした今回は、原点に立ち返る意味も含めてレイラインハンティング初期のフィールドワークを振り返ってみようと思います。
●浅間神社から寒川神社へ●
日本列島を東西に横断する「ご来光の道」というレイラインがあるということを知ったのは、鎌田東二著『聖トポロジー』に掲載された一点の地図でした。単純な線画で描かれた本州中央部を一本の直線が横切り、そこに神社や山がプロットされていました。
太平洋に面した千葉県上総一ノ宮の玉前神社を東端として、神奈川県の寒川神社、山梨県富士吉田市の富士浅間神社、富士山頂、日蓮宗の霊山七面山、琵琶湖の中に浮かび弁天様を祀る竹生島、大山、そして西端は日本海沿岸の出雲大社と続いていました。700㎞におよぶこの直線は、東西に伸びていることからもわかるように、春分と秋分、お彼岸の中日に太陽が運行するラインでした。まさに「ご来光」そのものを表すレイラインだったわけです。
鎌田氏がこの本を出版した1990年当時は、「レイライン」という概念は日本ではほとんど知られておらず、彼も単に聖地を取り結ぶ直線と紹介しているだけでした。しかし、この地図に添えられた写真は、レイラインを物語るものとしてインパクトのあるものでした。それは七面山山頂から春分の日の富士山を仰いでいるもので、まさに富士山頂のど真ん中を割るようにして太陽が現れる瞬間がとらえられていました。
この写真がとらえた朝日は、まっすぐ七面山の山頂にある日蓮宗の奥の院である敬慎院に射し込みます。そして、小さないくつものスリットを通過して、普段は光のまったく射し込まない堂の一番奥にまで達して、そこに安置された七面天女の像の眉間を射すのだと鎌田氏は解説しています。
私がこの本と出会ったのは出版の翌年で、すでにレイラインを辿るフィールドワークを行っていたので、こんな壮大なレイラインが日本に存在することを知って驚くと同時に、ピンポイントの聖地をテーマにしていた鎌田氏が、さりげなく触れているだけなのをとてももったいなく感じました。
後に、神奈川県の藤沢市にあった朝日カルチャーセンターの湘南教室で講師を務めるようになったとき、鎌田氏も同じく講師を務められていて、幾度か話す機会がありました。彼の著書からレイラインの事例を借用したことの他、同じ日本山岳修験学会に所属していたこともあって、学会の話までいろいろと興味深い話ができました。
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