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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.232
2022年2月17日号
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◆今回の内容
○日本神話が物語るもの
・神話の論理
・本当の「出雲」とは
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日本神話が物語るもの
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前回も少し触れましたが、「神道」と呼ばれるものの源流は、稲作文化が日本列島にもたらされて以降の農時記に対応した儀式を反映したものであり、さらに素朴な山岳祖霊信仰(死者の魂が遠くに見える山岳=天と地の際に還っていくという信仰)にあります。
さらにその山岳信仰を分析すれば、山岳が天と地の際にあって異界への入り口と意識されたということのほかに、山が火をもたらすものであり、「破壊と創造」の源泉であるととらえる火山信仰がコアにあることがわかります。
火山列島である日本では、山が突如として天高く火を噴き上げ、すべてのものを覆い尽くし、死に絶えさせ、そして、そこから再び生命が蘇ってくるといった光景が、各地で繰り返されてきました。現代においても火山噴火の予知が困難であることからしても、古代の人たちが、こうした火山活動に対して絶大な畏れの気持ちをいだいていたであろうことが想像できます。
それは、『延喜式・神名帳』の中で、火山を祀る神社が噴火の度に高い位階を贈与されたり、活発な火山帯にある伊豆国に異様に式内社が多い(伊豆国だけで92社を数える)ことなどからもわかります。
火山信仰に関しては、以前にも何度か触れました。たとえば、「浅間」が「阿蘇」に通じ、火山を意味する「アソ」という言葉が元となっていて、浅間山はもとより、日本最大の火山である富士山を祀る浅間神社もそれに由来すること。太古のすさまじい火山噴火の記憶が八ヶ岳周辺の縄文遺跡に刻まれていること。縄文時代中期におこった鬼界カルデラの破局噴火によって南九州の縄文文明が壊滅し、その記憶が天岩戸神話や神武東征神話に影響を与えているのではないかという説があること。等々。
今回は、そうした火山信仰と日本神話との関わりを元に、益田勝実の名著『火山列島の思想』を参考にしながら、「出雲」という存在の大きな謎にまで迫ってみたいと思います。
●神話の論理●
レヴィ=ストロースは『神話論理』によって、神話がどのように語られているかという「構造」を分析していくことで、寓話による「民族誌」の表現という従来の観点から脱して、今でも生き生きとした意味を持っているものとして捉えなおすことを可能にしました。それは、もちろん、日本神話にも適用できる方法論です。
たとえば、『古事記』におけるイザナミの死の場面。
「…次に火之夜芸速男神を生みき、またの名は火之炫毘古神といひ、またの名は火之迦具土神といふ。この子を生みしに因りて、陰灸かえて病み臥せり。嘔吐に生れる神の名は金山毘古神、次に金山比売神。次に屎に成れる神の名は波邇夜須毘古神。次に波邇夜須毘売神。次に尿に成れる神の名は弥都波能売神、次に和久産巣日神。この神の子は、豊宇気毘売神といふ。故、伊邪那美神は、火の神を生みしに因りて、遂に神避りましき」。
要約すれば、「イザナミは火の神カグツチを産んで陰部を大やけどし、病み伏せてしまった。そして、嘔吐とともにカナヤマビコとカナヤマヒメが生まれ、次に、垂れ流された屎からハニヤスビコとハニヤスビメが生まれた。次に、垂れ流された尿からミズハノメ、次にワクムスビが生まれた。そのワクムスビの子はトヨウケビメという…」。
この後で、夫のイザナギが妻恋しさに冥界へと下り、妻を生き返らせようとしたもののすでに冥界の食物を食らって腐り果てていた妻の姿に驚いて地上へと逃げ帰ってくるわけです。それはさておき、このイザナミがお産による受傷の後に、次々に新たな神を生み出していく場面をどう考えたらいいでしょう。それは、神の名前をコードとして読み解いていくことで明確になります。
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