□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.229
2022年1月6日号
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆今回の内容
○冬至から正月にかけてのあれこれ
・大国主と大黒天と鼠
・アエノコトと正月の風習
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
冬至から正月にかけてのあれこれ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
あけましておめでとうございます!!
と、新年の挨拶ではじめたものの、私の場合は、例年、冬至のイベントで正月気分を味わってしまい、大晦日から年が明けて正月三が日は、すでに新しい年が始まって少し経ったような気分になっています。
洋の東西を問わず、古代は冬至が年の始まりでしたし、天皇が執り行う新嘗祭も、本来は冬至に行われる新年を寿ぐ儀式でした。今では、北欧の冬至祭りであるユールや古代ローマのサトゥルナリアが原型のクリスマスが、そうした古代の新年祭の名残を留めています。
昨年の冬至の日、私は福島県いわき市にある鹿島神社にいて、南東方向にまっすぐ伸びた参道の真ん中から昇ってくる朝日を拝していました。この神社は、以前は参道の延長上3kmほどのところにありました。そこは、都市計画によって道路が拡幅され、今では大通りの交差点となっています。現在の場所に移転されても、旧地を拝する形になっているわけです。
旧地にあったときも参道の向きは同じでした。そして、その延長上には三崎が位置しています。海抜46mの丘陵を成す岬で、ここには綱取貝塚と呼ばれる縄文時代の遺跡があります。縄文時代は太陽信仰が顕著でしたが、海岸地域では見晴らしのいい海に突き出た岬に祭祀場が置かれ、そこにストーンサークルやウッドサークルを建てて、冬至を起点として、立春、春分、夏至、立秋、立冬といった一年の節目に当たる日が観測されていました。
鹿島神社の拝殿の前に立ち、参道の先から射してくる眩い冬至の曙光を目を細めて見ると、三崎に建つマリンタワーの背後から太陽が昇ってくるのがわかります。そんな光景から、土地にまつわる遠い記憶が、冬至の日の出を指す参道という形で、現在の神社にまで受け継がれていることを実感できます。
この日は、丸一日、アメリカの旅行メディアのライターを案内しました。東北の代表的な聖地として、この場所をはじめとしたいわきの聖地を巡ったのですが、その皮切りに、無事に劇的な日の出の光景を見ともらうことができてホッとすると同時に、この光景に感動してもらえたことで、東北の聖地観光のアピールに確かな手応えを感じました。
昨年、北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産に登録されましたが、「太陽信仰」という観点から見ると、こうした縄文遺跡は東北全域から北関東、中部にまで広く分布しています。さらに、この鹿島神社に見られるように、太古に土地に刻まれた記憶がいまだに受け継がれている神社もたくさんあります。
長野県上田市の生島足島神社では、長く伸びた参道の真ん中に冬至の太陽が沈んでいきます。これも、元を辿れば縄文時代の太陽信仰に行き着きます。じつは、いわきでの仕事の予定が入る前に、この夕日を拝もうと計画していました。
いわきで冬至の日の出を拝んで、夕方までに上田に移動して夕日を拝むのもオツだななどとも考えたのですが、いわきの仕事が丸一日になったのでこれも断念。代わりに友人が生島足島神社を訪ねて報告してくれましたが、残念ながら曇りで夕日は見られなかったそうです。それでも、参道にはたくさんの人が詰めかけて、夕日が落ちる瞬間を待ち受けていたとのこと。
2007年の春にNBS長野放送で放映したレイラインの特集番組では、この生島足島神社の冬至の夕日のシーンをエンディングのクライマックスとしました。そのロケの際、境内にいたのは数人の氏子さんだけでした。あれから15年あまりが経ち、この場所を含めた上田のレイラインは日本遺産に指定され、たくさんの人が詰めかけるようになるとは思いもよりませんでした。
●大国主と大黒天と鼠●
冬至の朝日をいわき市で拝んだ翌日の早暁、私は故郷の大洗磯前神社の浜鳥居と相対していました。ここも、冬至の朝日が鳥居の真ん中から昇ってくるように配置されています。そして、浜鳥居を通過したその曙光は、大洗磯前神社の一の鳥居を潜り、参道階段を這い登って楼門を抜け、拝殿に射し込んでいきます。
>>>>>続きは「聖地学講座メールマガジン」で
初月の二回分は無料で購読いただけます。
コメント