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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.225
2021年11月4日号
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◆今回の内容
○東国人的感性と聖地
・白鳥伝説のルーツ
・多様性を認めるということと多様性の中に生きるということ
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東国人的感性と聖地
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「東国」あるいは「東国人」と聞いて、みなさんはどんな第一印象を持たれるでしょうか?
この数ヶ月、主に中部から北陸、関西圏を巡り、そこで合った人たちに同じ質問をしてみました。また、同様に、東京出身や東京在住の主に西日本出身の方にも聞いてみました。
すると、ほとんどすべての人が、「東国? それ何?」と不思議な顔で聞き返してきました。高校で日本史を習った人は、なんとなく東国という言葉を覚えていて、「今の東北のことかな? 東国人は東北人ということ?」と、まあ外れてはいないのですが、「東国」という言葉に対しての思いは希薄なものでした。
ところが、東北の人や、関東でもまだ昔からの文化が色濃く残る地方、例えば私の田舎である茨城県の農村部などで同じ質問をすると、それほど強く意識している人ばかりでもありませんが、大多数の人が東国とは自分たちが住んでいる場所であり、東国人は自分も含めて、この土地に土着の人たちを指すと答えます。
古代から中世にかけて、「東国」は大和朝廷が支配する「大和」もしくは「日本」とは異質のいわば化外の土地でした。そこは、土着の蝦夷(えみし)の土地であり、さらに遡ればアイヌが居住していた土地でもありました……ちなみに、歴史学的に「蝦夷=アイヌ」という捉え方をされていた時代がありましたが、今では遺伝子解析によって、アイヌと蝦夷は別な民族であることが証明されています。
1988年2月28日、TBS系列の「JNN報道特集」で、東京からの首都機能移転問題が扱われた際、当時、大阪商工会議所会頭だった佐治敬三(当時:サントリー社長)が「東北熊襲発言」と呼ばれる舌禍事件を引き起こしました。
当時、首都機能移転について東北各県と近畿各県が積極的な誘致活動を行っていましたが、近畿経済圏を代表する立場であった佐治は、番組の中で「仙台遷都など阿呆なことを考えてる人がおるそうやけど、(中略)東北は熊襲の産地。文化的程度も極めて低い」と発言しました。
熊襲は古代九州の土着民族で、本来は蝦夷とするところを間違ってしまったのでしょうが、この発言は東北の人たちの逆鱗に触れてしまいました。そして、東北六県知事会がただちに招集されて、全会一致でサントリーの不買運動宣言となりました。
このときの佐治発言の影響は根強く、今でも東北ではサントリーの酒を絶対に置かないという酒場が少なくありません。
東国人=蝦夷の末裔という意識を持つ人たちとしてもいいかもしれませんが、この舌禍事件が物語るように、その心性には、現代に至るまでも大和朝廷=中央政府に対するプロテストが根強く残っています。佐治氏の発言は、彼が西日本の出身で、そうした東国的感性を知らずにいたがために起こした不用意なものだったといえるでしょう。
そんな東国人にとっての英雄は、平安時代初期に大和朝廷に対して浩然と反旗を翻した蝦夷の長アテルイであり、後に触れる安倍貞任であり、また坂東を拠点に反乱を起こして「天皇」に対する「親王」を名乗った平将門でした。
1981年、井上ひさしが長年構想を温めていた『吉里吉里人』を発表します。これは、東北の一寒村が日本国から独立を図る話で、まさに東国人としての古来の悲願を達成するという思いが存分に込められていました。
細かい活字が二段で組まれた単行本は800ページを越え、全編が東北弁で書かれています。これは、現代の東国人にとって痛快な小説でしたが、西のほうの人には東北弁の文章が難解でもあり、また、東国人の心性がピンとこないということもあって、あまり受け入れられなかったようです。
今回、「東国」「東国人」をテーマにしようと思ったのは、昨今の神社ブームや日本文化論などの中で、明治政府が整備した「国家神道」があたかも日本古来の信仰であるかのような雰囲気が満ちていることに、違和感を持ったからでした。
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