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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.210
2021年3月18日号
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◆今回の内容
○神話の力
・神話と人間
・永遠とは
・聖なる場所
・生の目的
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神話の力
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先週末から週明けにかけて、『神話の力』を30年ぶりに読み返していました。
神話学者のジョーゼフ・キャンベルにジャーナリストのビル・モイヤーズがインタビューする形で綴られたこの本は、アメリカのPBS(Public Broadcasting Service=公共放送サービス)で6時間に渡って放送された番組の未放送分も含めたテープを起こしたもので、500ページにのぼる大著です。
番組の収録は、1985年から86年にかけて、ジョージ・ルーカスのスカイウォーカー・ランチとニューヨークの自然史博物館で、延べ24時間に渡って行われました。ジョージ・ルーカスは、ジョーゼフ・キャンベルの神話論に多大な影響を受け、自らが監督・総指揮を務めた「スターウォーズ」シリーズは、それをモチーフにしていることが有名です。そんな縁もあってルーカスフィルムの本拠地であるスカイウォーカー・ランチが収録場所に選ばれたのでした。
30年前に読んだときは、神話学全般の概要を把握することが目的で、他の神話関連のテキストと合わせて、主に事例を気に留めていました。何度か引っ越しをするうちに、そのとき読んだ単行本がどこかに行ってしまったのですが、たまたま文庫本を見かけてで購入し、懐かしく思いながら再読を始めたわけです。
そして、年を経て読み直してみると、以前とはぜんぜん違う部分、とくにキャンベルが教訓的な話をしているところに強く惹かれました。
それは、たとえばこんな部分です。「肉体がその力の頂点に達して衰え始める中年期の問題は、自己を、衰えかけている肉体と同一視するのではなく、意識と同一視すること。肉体はその意識を運ぶ道具に過ぎないのだから。この私はなんだ? 私は光を運ぶ電球なのか、それとも、電球を単なる道具として使っている光そのものか」。
これは、私が今年還暦を迎えて、とくに肉体の衰えを感じるようになったということもありますが、それ以上に、人生を重ねてきて、生きることの意味もしくは意義といったことが、朧ながら見えはじめたことで、キャンベルのこうした言説に共感を覚えるようになったことが大きいと思います。
教訓的な話というのは、ともすれば安直な自己啓発のようにも受け取られかねないのですが、このインタビューの翌年に亡くなったキャンベルが、その深い経験と学識から語る言葉は、自分が取り組んできたことを次世代に引き継いでもらうためのメッセージでもあって、教え諭すのではなく、純粋な問題提起となっています。そんなところにも惹きつけられたのだと思います。
もう40年近く前の刊行ですが、その内容はまったく古びたところがなく、今顕在化している様々な問題も、すでに明確に指摘されています。
私は、人間の営みを考察するためのアプローチに、神話ではなく「聖地」というキーワードを用いているわけですが、聖地は神話なくしては成り立ちません。ですから、この二つは一心同体といえます。そんな意味でも、今、この本に出会い直したことの意味は大きいと感じました。
今回は、いま一度『神話の力』を紐解いて、みなさんと一緒にキャンベルのメッセージを吟味してみたいと思います。
●神話と人間●
「神話」といって、私たちが真っ先にイメージするのは、民族固有の神話でしょう。日本ならイザナギ、イザナミの国産み神話、ローマではロムルスとレムス、中国では死体化生する盤古、ギリシアの宇宙卵から生まれたエロス…。それらは、いずれも原初の混沌から創世神によって秩序が生み出されていくというモチーフは共通しています。しかし、それが当てはめられるのは、あくまでも一つの「民族・集団」に限定されます。
「どの集団(民族)も、みんな自分たちは選ばれた民だと思っています。彼らが自分たちにつけた名前は、たいていは〈人間〉を意味するもので、ほかの人々には変な名前をつける――ひょっとこだとか鼻曲がりだとか…」
こうした神話は排他的であり、これが差別や分断のきっかけとなります。こうした神話をキャンベルは「社会的な神話」と呼びます。
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