□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.183
2020年2月6日号
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆今回の内容
○2020年立春の雑感
・空海と大日
・付喪神
・建築と聖地
◯お知らせ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2020年立春の雑感
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
去る2月3日の節分とその翌日の立春の日、香川県にある善通寺に滞在して星供結願祭と節分会に参加し、立春の夕陽を拝みました。
善通寺では、毎年、冬至の日から星供養が始まり節分で結願を迎え、同時に節分会が行われます。日が変われば立春ですが、この日は四国八十八ヶ所巡りの先達が一同に会しての立春会となります。
今年は暖冬で、関東でもすでに梅の花がほころんできていますが、こちらでは梅は満開を迎え、さらに菜の花も咲き誇り、立春というより春真っ盛りといった陽気でした。
世界は中国で猛威をふるうコロナウイルスに戦々恐々としていますが、今回の聖地学講座は、これから迎える春とともに、この脅威が去ってくれることを願いつつ、新たな春を迎えるこの節目に、善通寺の儀式の意味からはじめて、雑感を綴ってみたいと思います。
●空海と大日●
善通寺は、四国に縁のある方以外、あまり馴染みかない方も多いかもしれませんが、空海生誕の場所であり、幼時代を過ごした実家=故郷です。空海の本名は佐伯真魚(さえきのまお)と言いますが、佐伯氏はこの地に古くから定着して、土地を治めてきた豪族で、善通寺は佐伯氏の氏寺でした。
今では四国八十八ヶ所の75番札所であり、また空海縁の三大聖地として、高野山、東寺とともに挙げられる名刹です。四国札所の中で唯一境内に温泉が湧き、真魚はこの温泉で産湯を使いました。その産屋があったところに、空海の自画像が祀られた御影堂が建っています。この自画像(御影)は、空海が遣唐使として旅立つ直前に、今生の別れとなるかもしれないと思い、堂の前にある御影の池に自分の姿を写して描き、それを母に残したと伝えられるものです。
鎌倉時代初期、土御門天皇が拝観した際に、この像が瞬きしたことから「瞬目大師像」とも呼ばれるようになりました。今は秘仏とされ、50年毎に御開帳されます。
ちなみに次の御開帳は2035年ですから、もうまもなく空海自筆の尊顔が拝めるわけです。書では「三筆」の一人に数えられる空海が、いったいどのような絵を描いたのか、楽しみです。
御影堂は香色山と筆ノ山という二つの山が折り重なるちょうどその真中を背にしています。冬至の夕陽は南側の香色山頂に沈み、それを合図に星供養が始まるのです。そして、日を追う毎に夕陽は香色山の稜線を北へと辿り、節分から立春にかけての二日間は、御影堂のまん真ん中、二つの山が重なる谷間に沈んでゆくのです。つまり、星供養はこの夕陽の動きに合わせて行われるわけです。
立春を過ぎると夕陽はさらに北へと移っていき、夏至で反転して戻ってくると、立冬には再び二山の間に沈み、冬至を迎えるとまた北へ反転するというサイクルを繰り返していきます。
二至二分の太陽の動きを意識した場所の多くは、かつて縄文遺跡がそこに存在していたケースが多いのですが、善通寺も同様に境内の北側に「練兵場遺跡」という広大な縄文集落の遺跡が広がっていました。また、香色山頂には佐伯家の祖霊が祀られていますが、ここも縄文から弥生、古墳時代にかけての祭祀場でした。
御影堂から真っ直ぐ前方に伸びる参道の先に立って、御影堂のほうを見やると、節分・立春の夕陽は、御影堂とその背後の谷間に吸い込まれるように落ちていきます。そして、完全に没する刹那、日に照らされた参道が燦然と輝き、冥界との通路が一瞬開かれたかのように感じられます。幼い真魚もこの同じ光景を見て、自らが太陽をその身に吸い込んだように感じたのではないかと思えてきます。
空海の生涯を辿ると、彼と大日如来と縁の深さを物語るエピソードがたくさん見られます。中でも有名なのは、遣唐使として唐に渡り、長安の青龍寺の恵果和尚の元で結縁灌頂を施されたときのものです。胎蔵界、金剛界との二度の結縁灌頂で、空海が投げた花弁は二度とも曼荼羅の中心にある大日如来の上に落ち、恵果が空海こそが密教の正当な伝承者であると確信する場面です。
>>>>>続きは「聖地学講座メールマガジン」で
初月の二回分は無料で購読いただけます。
コメント