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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.181
2020年1月2日号
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◆今回の内容
○自然信仰と神道
・淫祠邪教
・国学の功罪
◯お知らせ
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自然信仰と神道
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昨年末、私の住まいに近い大洗磯前神社の海に面した磯鳥居の側で、人が海に転落して溺死するという事故がありました。
数年前から観光客が急に増え、それまではなかった磯鳥居への立入禁止の看板なども設置されたのを異様に思っていました。なにしろ、子供の頃から馴染んできたこの神社は、地味な神社で、普段は参拝客もまばらなところでしたから。急に人が増えたのは、『ガールズ&パンツァー』という人気のアニメの舞台になって、「アニメの聖地」として人気が出たからだと最近知りました。海に転落して亡くなったのは、このアニメのファンで、アニメに登場するシーンと同じ構図で写真を取ろうとして磯鳥居の先まで踏み込み、波にのまれたとのことでした。
この磯鳥居は、大洗磯前神社の祭神であるオオナムチが上陸した場所と伝えられています。高台にある社殿と参道はこの鳥居の方を向き、ちょうど鳥居の真ん中から登ってくる冬至の朝日を迎え入れる形になっています。そうしたことを知っていたかどうかわかりませんが、「神域につき立入禁止」と明記された新しい看板の先でおきたなんとも皮肉な事故でした。
ところで、この大洗磯前神社は、明治の神仏分離によって現在の名前になりましたが、それより前は、「大洗磯前薬師菩薩明神社」と呼ばれていました。これは、典型的な神仏習合の名称です。
「我是れ大奈母知(オオナムチ)・少名比古奈命(スクナビコナノミコト)なり。昔此の国を造り終わり、去りて東海に往けり。今民を済(すく)はんが為に、更に亦来たり帰る」と『日本文徳天皇実録』にある記述が神社の由来で、ニニギが天降ったときに隠れ去った二神が、飢饉と疫病に苦しむ民の様子を見かねて、救うために帰ってきたと伝えています(この二神のうちオオナムチが大洗磯前神社の祭神で、スクナビコナはこの北にある酒列磯前神社に祀られています)。
仏教では、東方は薬師如来が治める浄瑠璃浄土がある方向で、東海から帰ってきたニ神は、薬師に見立てられたわけです。本来、薬師は浄土にいるので如来ですが、その薬師が此岸に戻ってきたので、人間界に留まって人を浄土に導く菩薩になったと解釈されています。それに明神という神格がつけられて、なんとも不思議な神名になっています。しかし、こうした神仏習合的な形こそ、奈良時代から江戸時代の長きに渡って神社の自然な姿でした。
去年は、天皇が譲位したこともあり、天皇や伊勢神宮に関心が集まった年でもありました。そんな中、天皇の皇統が神武から続く「万世一系」であるといった間違った言説も見られました。神武から第九代の開化までは神話のみの存在で、実在した可能性のある天皇は第十代の崇神以降です。神武から続く皇統というのは、「大洗磯前神社」という名前が明治の神仏分離によってつけられたものであるのと同様に、明治政府が恣意的に作り上げた話です。
明治政府は、日本各地で独自に信仰されていた神道的な自然信仰を「淫祠邪教」として廃し、また廃仏毀釈によって仏教を弾圧しましたが、本来の日本的な信仰は、その廃され弾圧されたもののほうにありました。日本古来の信仰は、自然現象そのものを神格化し、それを畏れ敬うことで自然との共生を図ろうとするもので、じつに多様性に満ちたものでした。さらに、他所から入ってきた仏教や道教などもそんな精神土壌の中の中にどんどん吸い込まれ、習合化して、日本独自のものに変質していきます。
一神教は、一個の絶対神の元で、人間は選ばれた存在として、自然を制圧する権限を与えられます。また人間以外の生き物は、神とその下僕たる人間の下位に置かれ、その生殺与奪は人間の当然の権利とされました。また、異教徒は邪神を崇拝する迷える民たちなので、その間違いを正すことは正しい神を信じるものにとっての使命であり、改信できない異教徒は討ち滅ぼさねばならないとされます。社会科学的に見ると、一神教は不寛容で独善的かつ好戦的なのが特徴です。
明治政府によって整備された国家神道は、天孫を先祖とする万世一系の天皇を「現人神」として戴き、国民はその下僕たる臣民として現人神に仕えるものとされました。簡単にいえばキリストを天皇に置き換えた「天皇教」を日本神話をバイブルとして作り上げたわけです。寛容で多様な多神教では、好戦的な一神教の世界と対峙するには弱すぎるので、日本も一神教世界に作り変えて、思想的にタフにしなければならないと考えたわけでした。
それは時代的な背景を考えれば、仕方のない選択だったのかもしれません。しかし、国家神道=天皇教を国教とした日本は、不寛容な国粋主義と好戦性をむき出しにして、暴走していく運命にありました。その末路を見れば、それが間違った選択だったことは明らかです。
「日本は、世界一長い歴史を誇る由緒正しい皇統を繋ぐ神の国である」という文句は、明治政府が唱え、自滅へと進んでいったお題目そのものです。日本は世界でも図抜けた歴史を誇る国でもないし、由緒正しい皇統を繋ぐ天皇をいただく素晴らしい国でもありません。そんなことを自慢するのではなく、自慢とすべきは、寛容さと多様性を持っていた神道的な自然観、自然信仰だと私は思います。そして、それがどのようなものだったかを、今だからこそ思い出す必要があると思うのです。
2019年の年の暮れから年明けにかけて、そんなことを考えていました。世界を見渡すと格差の拡大や環境破壊、それに軍拡化など、明るい未来を予想させるような兆候が見当たりません。だけれど、ここで諦めてしまえば、悪い方向へ向かう歯止めを失って、たちまち最悪の状況に陥ってしまうでしょう。そうならないためにも、過去を振り返って、間違いを正し、また未来へ繋がる叡智を見出す努力をしなければいけないと思います。
今回は、そんな思いからこの稿を起こしました。すでに前置きから本題に踏み込んでいますが、もう少し、日本の神道の歴史を考察してみたいと思います。
●淫祠邪教
私がフィールドワークで神社を調査するとき、最初に注目するのはそこに祀られている祭神です。客観的な資料で主祭神が古くから祀られてきたものと判断できればそれでいいのですが、客観的な証拠や傍証がなく、アマテラスやアメノミナカヌシやあるいは八幡神といった頻出する神が主祭神とされている場合は疑って掛かかるのです。それは、アマテラスやアメノミナカヌシといった天津神(アマツカミ=伊勢系神)は、天皇の祖神として明治以降の国家神道=天皇教の元に主祭神ととして据えられたものが多く、八幡神は鎌倉時代以降に武家の間で信仰が広まり、もともと祀られていた神に代わって主祭神にされたケースが多いからです。
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