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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.174
2019年9月19日号
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◆今回の内容
○牛(丑)とは何か
・聖なる牛
・祟り神としての牛
・28という神秘数
◯お知らせ
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牛(丑)とは何か
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先週末の14日は、都内のセミナールームで、京都の結界と近畿の五芒星の話をしました。これは、6月の夏至の日に京都で行ったセミナーと同内容で、東京でも開催してほしいという要望に答えたものでした。
京都といえば結界のメッカのようなところですし、これと近畿を包むように存在する五芒星の結界との結びつきは、歴史的にも深いものがあって、一回ではなかなか説明しきれません。それでも平安遷都の経緯と五芒星との符号や、怨霊封じ込めの装置としての洛北の結界などは、他ではあまり取り上げられない…着目されていない…視点なので、参加された方々は、斬新に感じられたようです。
このセミナーの最後のほうで、面白い質問をいただきました。「京都は、牛がよく登場しますけど、牛と結界、あるいは牛と聖地とは何か関係があるのですか」と。
京都=平安京には確かに牛がよく登場します。牛頭天王=スサノオの怒りを鎮めるために行われる祇園祭、これと対を成すように行われるのが葵祭ですが、この葵祭を主催する上賀茂神社の神紋「二葉葵」は牛の角を模式化したのが初めといわれています。貴船神社の祭神は、丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻に降臨したと伝えられ、かつて貴船神社は丑の刻参りが正式な参拝方法とされていました…それがなぜか、呪いのほうの丑の刻参りで有名になってしまいましたが。さらには、平安貴族たちは牛車に乗って京の街を静々と移動していました。そして、鞍馬寺に預けられた源義経の幼名は牛若丸…。
何故、京都=平安京には、牛がよく登場するのでしょう? 質問をいただいたときには、時間も残り少なく、「牛は、世界各地の宗教や神話などで生命力や再生を象徴する『聖なる動物』と考えられていて、それは日本も例外ではないんです。とくに陰陽道が色濃い平安京では目立つのです」としか答えられませんでした。
そもそも、どうして世界に共通して、聖なる動物として牛を崇める傾向があるのでしょうか。丑年生まれの私としては(笑)、中途半端にできない問題ですので、この場で続きの解説をしたいと思います。
●聖なる牛
神話学者のジョーゼフ・キャンベルは、『神話の生成』という論文(*下記の参考文献に収録)の中で、ネイティヴアメリカンのスー族のメディスンマン(シャーマン)であるブラックエルクが語った話として、バッファローが神聖視される理由を説明しています。
「バッファローには肋骨が28本あります。そのため、バッファロー自体が月を象徴し、さらには宇宙を象徴していると考えられたのです。月は28日周期で満ち欠けを繰り返します。スー族にとってバッファローは貴重な食料ですが、その群れは定期的に現れました。28本の肋骨という刻印は、月の化身の意味であり、だから再生してくるのです」
また、バッファローの猛々しさの源泉は宇宙の原理に通じるものであるとも考えられました。
ラテン文化圏で盛んな闘牛では、闘牛場が街の中心に設けられましたが、それも、牛のたくましい生命力と再生の力がそこから溢れ出し、街に全体に行き渡ると考えたからでした。
エナジードリンクの「レッドブル」は、今や先鋭的なスポーツの冠スポンサーとしてそのロゴを見ない日はないくらいで、登場して僅かな間にエナジードリンクの代名詞として認知されましたが、これも、古来から持たれていた牛の霊力のイメージをうまく取り入れたものといえるでしょう。エナジードリンクの力と再生を喚起するイメージとして、これに取って代わるものはなかなか見つかりそうもありません。
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