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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.164
2019年4月18日号
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◆今回の内容
○浄土について
・天国と地獄
・浄土というパラレルワールド
◯お知らせ
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浄土について
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先日、フェイスブックのタイムラインに下記のような話を書きました。
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「…死後も、自分の意識が存続するのかもしれないって信じたい。でも、もしかしたら、オン・オフのスイッチみたいなものなのかもしれない。パチン! その瞬間にさっと消えてしまうんだ。だからなのかもしれないね。アップル製品にオン・オフスイッチを付けたくないって思ったのは」
若い頃、禅やLSDが垣間見せるアルタードステーツに耽溺し、ずっとベジタリアンを貫いたジョブスが、亡くなる寸前に彼の伝記を書いたウォルター・アイザックソンに呟いた言葉。
いろいろな人の生きざまを見てきて、何もかもが消えてしまうことの恐怖に怯むよりも、自己の中にすでに「無」が内在されていることを意識しながら、物事をピュアに感じていたいなと思う。
それが、いちばん難しいことなんだろうけどね。
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この一年、身近な人間が生と死の境で闘う姿を見てきて、たまたま読んだジョブスの評伝の中に出てきたこの言葉にハッとさせられ、こんなことを書いたのでした。
これを投稿した翌日、三年に渡って闘病生活を送ってきた義弟が亡くなりました。昨年の春からの一年間は、私が実家に拠点を移し、管理職の教員として多忙な妹を手伝って、通院の送迎をしたりしてきました。
昨年の夏にはまだ元気だった義弟は、徐々に病が進行し、次第に衰えていきました。その間に定年を迎えて長年勤めた学校を退職し、最後に奉職したその学校は統廃合の対象となって、先月いっぱいで廃校となりました。体育教員だった義弟が手塩にかけた校庭を縁取る桜並木や花々は、春を盛りと、無人の校庭で咲き誇っていました。
片道一時間の道のりを病院へ送迎する途中、義弟といろいろな話をしましたが、彼は早い時期から自分の死期を感じ取っていたようで、残される家族が困らないように準備していることや、病院に付属する緩和病棟を指して、いずれそこに入って最期を迎えることになるだろうなどと話していました。ずっと死と向き合いながら暮らしていた彼がどんな気持ちでいたのか、私には想像しようもありませんでした。
私自身は、どこか見知らぬ荒野のようなところで、誰にも看取られず、ただパチンとスイッチを切るようにこと切れて、そのまま朽ちて砂になればいいと思っています。それを限りに「私」という存在のすべては、パチン! オフになる。でも、残される側の人間になってみると、あたりまえのように悲しみが湧き出してきます。そして、魂のようなものがあって、それが子孫を見守ってくれるとも考えたくなります。
私が実家に拠点を移したのは、妹に代わって弟の看病をするためというわけでもなかったのですが、昨年の初冬には母が脳梗塞で倒れて、こちらの世話もしなければならなくなり、妹一人ではとても二人の面倒を見ることはできなかったので、結果的に、介護や世話のために戻ったということになりました。
義弟とは対照的に、母のほうはいったんは助からないものと諦めたところから奇跡的に回復し、軽い言語障害が残るものの、観もなく退院となります。母は妹夫婦とずっと同居していましたので、ずっと義弟の病状を心配していたのですが、まさか自分の退院直前に亡くなるとは想像していなくて、大きなショックを受けていました。
私の父は、ちょうど40年前、私が18歳のときに亡くなりました。義弟は60歳でしたが、40年前の50歳に比べれば、今の60歳はまだまだ若く、これからリタイア後の生活を楽めるはずだったと思うと悔やまれてなりません。身内や友人、先輩や後輩、人生の師といえるような人…いろいろな人の死を間近に見てきましたが、義弟は、その最期に至る一年余りを身近に過ごし、彼の気持ちの揺れ動きもつぶさに見てきたので、なおさらです。
私自身は魂の存在やら、輪廻、天国や地獄、彼岸や浄土といったものの存在はまったく信じていませんが、こうした死に直面すると、この世でやり残したことや未練をすべて消し去り、魂の幸福をもたらしてくれる「浄土」という概念が作り出された心理を理解できます。
今回は、そんな個人的な体験も踏まえながら、地獄という概念がどのように生み出されたかという前回のテーマに引き続いて、浄土という概念について触れてみたいと思います。
●天国と地獄
前回記したように、人間の魂が死後に「他界」へ向かうというイメージは、すでに太古から見られました。縄文時代の土偶や埋葬の風習などには、死者がこの世を離れてもまた「他界」で存在するということを意識していたことがはっきり表れています。そこでイメージされている「他界」は、「天国と地獄」といったように完全に分割された善悪二元的な世界ではなく、現実の世界と背中合わせに身近に存在しているパラレルワールドのようなものでした。
死者の魂は、この世の鏡像のような他界へとスライドし、そこでもこの世にあるときと同じように生活していると考えられたのです。だから、生前に使用していた什器などは、向こうの生活でも必要なものだからと、壊されて、死者と一緒に埋葬されたり、送られたりしたのでした。アイヌには「カシオマンテ=家送り」という風習が伝わっていました。これは、死者とともに家を丸ごと焼き払う儀式でした。
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