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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.150
2018年9月20日号
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◆今回の内容
◯富士山の謎
・木花咲耶姫とかぐや姫
・浅間信仰と富士講
◯お知らせ
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富士山の謎
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富士山は、日本人なら誰もが認める日本一の霊山・聖山です。では、どうして日本一の霊山・聖山なのでしょう? その優美な姿があまりにも神々しく、かつ日本でいちばん高い山だからでしょうか。それとも、幾度も噴火を繰り返し、優美さの裏側に火山としての恐ろしさを含んでいるから、それを畏れたのでしょうか。また、富士山、白山、立山は、合わせて「日本三霊山」と称されますが、どうしてこの三山が選ばれているのでしょう。
今回は、そんな富士山にまつわる疑問を信仰や説話の観点から読み解いていきたいと思います。
●木花咲耶姫とかぐや姫
2013年、富士山とその周辺の寺社や地域は、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」として世界遺産に登録されました。単に自然遺産としてではなく、包括的な文化遺産とされたのは、とくに富士山を崇拝対象とする信仰に重きが置かれたためです。
富士山に対する信仰の大本は、以前にも取り上げたように火山信仰で、その中心は富士宮市にある富士山本宮浅間(センゲン)大社です。この神社は、坂上田村麻呂によって創建されたと伝えられています。貞観6年(864)の「貞観大噴火」の後には富士吉田にも分霊されて浅間神社が設けられ、その後、富士山麓から、さらに広範な地域へと一気に増えていきます。
浅間大社とその分社である浅間神社は、主祭神を木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)として、社名の由来である火山神の浅間大神は第二神として祀られています。
しかし、古い記録には、木花咲耶姫は登場せず、ただ浅間大神もしくは富士大神としか記されていません。
富士山に関して、具体的な描写がなされたもっとも古い記録としては、都良香(みやこのよしか 834-879)が記した『富士山記』がありますが、そこには以下のように記されています。
「富士山は、駿河國に在り。峯削り成せるが如く、直(ただ)に聳えて天につづく。其の高さ測るべからず。史籍の記せる所をあまねくみるに、未だ此の山より高きは有らざるなり。其の聳ゆる峯欝(さかり)に起り、見るに天際に在りて、海中を臨み瞰(み)る。其の靈基の盤連する所を觀るに、數千里の間に亙る。
行旅の人、數日を經歴して、乃ち其の下(ふもと)を過ぐ。之を去りて顧み望めば、猶し山の下に在り。蓋し神仙の遊萃(ゆうすい)する所ならむ。承和年中に、山の峯より落ち來る珠玉あり、玉に小さき孔有りきと。蓋し是れ仙簾の貫ける珠ならむ。又貞觀十七年十一月五日に、吏民舊きに仍りて祭を致す。日午(ひる)に加へて天甚だ美(よ)く晴る。仰ぎて山の峯を觀るに、白衣の美女二人有り、山の巓(いただき)の上に雙(なら)び舞ふ。巓を去ること一尺(ひとさか)餘、土人(くにひと)共に見きと、古老傳へて云ふ。山を富士と名づくるは、郡の名を取れるなり。山に神有り、浅間大神(あさまのおほかみ)と名づく……」
これを読むと、9世紀の半ばには、富士山が日本一高い山として認識され、また神仙が住む山と考えられていたことがわかります。そして、山の神はシンプルに浅間大神とあるだけです。
以前、伊豆の創世神話の記された『三島記』を取り上げましたが、ここでも、三島神が伊豆諸島と伊豆半島を創生する際に手を貸すのは富士山の神様ですが、木花咲耶姫ではなく富士大神とされています。
富士宮の浅間大社が創建される以前は、富士山を崇める社は、浅間大社の北東にある山宮と富士山頂の奥宮の二社のみだったとされます。多分、その頃には木花咲耶姫は登場せず、シンプルに火山神としての浅間大神(富士大神)だけが祀られていたのでしょう。
では、いつ頃、木花咲耶姫が浅間神社の主祭神とされたのでしょうか。
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