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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.138
2018年3月15日号
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◆今回の内容
◯十一面観音と聖地
・十一面観音とは
・お水取りとお水送り
・十一面観音が繋ぐレイライン
◯お知らせ
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十一面観音と聖地
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前回のメルマガ発行の翌日は、若狭のお水送りと不老不死伝説のポイントを巡るツアーのガイドをしていました。今年でもう13回目、今まででいちばん気候が穏やかで、ちょうど満月にも当たり、無数の松明が満月の元で揺れる幻想的な夜の儀式となりました。
毎年、前年に参加してくださった方が、ガイドが面白く、儀式は幻想的で素晴らしいと人に勧めてくださり、その口コミで参加してくれる人が多く、さらに翌年も話が伝わって、じんわりとお水送りの認知度とともに若狭に伝わる不老不死の物語が広がっていくことをうれしく思っています。
2日に若狭から送られた聖水「ご香水」は、10日後の12日に東大寺二月堂の閼伽井、通称「若狭井」から汲み上げられて、ご本尊の十一面観音に供えられます。これが「お水取り」です。
若狭は、もともと十一面観音のとても多い聖地で、そこからマジカルな水が奈良に送られ、再び十一面観音に繋がるわけです。
今まで、何度か十一面観音信仰をテーマに取り上げましたが、今回、若狭と奈良を結ぶ「十一面観音の道」ともいえるものがあらたに見えてきましたので、今回はそれを紹介したいと思います。
●十一面観音とは●
以前も十一面観音の由来については書きましたが、あらためてどんな性質の観音であるのか振り返ってみましょう。
十一面観音は、もともと十一荒神と呼ばれるバラモン教の山の神で、その名が示すように、この神がひと度怒ると、霹靂の矢を放って人畜を殺戮し、草木をことごとく滅ぼすという狂暴な荒神でした。人々は、この神がもたらす災害を避けようと供養しました。それが十一面観音供養の始まりで、次第に柔和な善神に変じていったとされます。宝冠の上に、瞋面(しんめん)、牙出面、暴悪大笑面などの憤怒相を頂いているのは、荒神としての性格の名残りです。
北陸では、奈良時代に泰澄が十一面観音信仰を広めましたが、その十一面観音は白山の神である菊理媛(くくりひめ)=白山比売の本地仏でした。泰澄は、自分が開山した白山がもたらす水の恵み、さらに災害に十一面観音の性質をだぶらせていたのでしょう。白山は、荒ぶる神として九頭竜も祀りますから、女神と九頭竜をブレンドした本地仏であるとも言えます。
この講座の第114回「錫杖を持つ十一面観音」のテーマにした長谷寺の観音は、ふつうの十一面観音が数珠をした右手を垂下しているのに対して、錫杖を持って自分が乗る岩盤をそれで突いています。これは、洪水を起こす暴れ川を鎮めるという意味を持つと書きましたが、さらにもう一つの隠された意味があります。それは、御杖代としての姿です。
『垂仁記』には、天照大神を奉斎した倭姫が、「磯城(しき)の厳樫本(いつかしもと)」に、八年籠もった後に伊勢に向かったと記されています。これは、今の泊瀬の斎宮跡のことで、長谷寺の奥の院に当たります。錫杖を持つ観音は、天照大神の御杖代となって、諸国を遍歴した倭姫の姿をも映しているわけです。伊勢では、天照大御神の本地仏が十一面観音と考えられていますが、その由来はここにあるのでしょう。
●お水取りとお水送り●
次に、お水取りとお水送りの由来をおさらいしてみましょう。
東大寺の大仏が完成する前年の天平勝宝三年(751)、東大寺別当だった良弁の高弟、実忠は、東大寺の北東10キロあまりの笠置山の麓にある千手窟に籠もっていました。ここは沖縄の斉場御嶽を思わせるような二つの巨岩が寄りかかった間の岩窟です。
このとき、実忠は兜率天へと昇り、その内陣に遊んで、聖衆が十一面悔過法を修するビジョンを見ました。兜率天は弥勒菩薩の浄土ですが、千手窟の隣には巨大な弥勒菩薩の磨崖仏があり、実忠はこの弥勒菩薩に導かれたのだと感じたのでしょう。
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