アパートの隣室に住んでいたおばあさんが亡くなった。孤独死だった。
もっとも孤独死といっても、ずっと孤独に暮らしていたわけではなく、週のうち4,5日は介護施設から迎えが来て一日過ごし、他の日は息子さんがやってきて、一日一緒に過ごしていた。だから、孤独なのは夜だけだった。
2年ほど前に隣に引っ越してきたのだが、どういういきさつで変則的な一人暮らしになったのかはわからない。ただ少し足が悪いだけで、話もしっかりしていて、元気そうで、とくべつ生活に不自由を感じてはいないようだった。
昨日の朝、そのおばあさんの部屋のサッシを叩く音がして、何かと思ったら、通ってくる息子さんで、合鍵は持っているのだが、中からチェーンを掛けているため入れないのだという。
一階の部屋なので、庭に回り、カーテンの隙間から覗くと、寝ている姿が見えるので、起こそうと思って、叩いていたのだという。
でも、おばあさんは目覚めなかった。
昨年のちょうど今頃、隣の棟に住むぼくと同年代の一人暮らしの男性も同じように亡くなった。
彼は、寝ている間に胸が苦しくなり、自分で救急車を呼んだのだが、救急隊員が到着しても自力でドアに行くことができず、救急隊員は大家さんの許可をもらって、庭側からサッシを破って室内に入った。
ストレッチャーで運ばれていくときには意識があって、苦しそうではあったが話もしていたので、助かるかと思ったがダメだった。
15年前、当時は別の街に住んでいたが、やはり同じ時期に同じアパートで一人暮らししていた男性が孤独死したことがあった。そのときのことは、古い日記に書いた。
" http://www.venus.dti.ne.jp/~kazunari/column/column02_05_12.htm#11/22 合掌 "
それにしても、身近でこういうことが続くと、社会そのものが疲弊していっていることを痛烈に意識させられてしまう。
ただでさえ物悲しいこの晩秋の時期に、どんな思いで、一人旅立っていったのだろうか。
いろいろと考えていたら、今朝のニューヨークタイムスWEBに"A Lonely Death"というタイトルで、日本の老人の孤独死の特集が組まれていた。
高度経済成長の波に乗って、どんどん都市化か進み、団地や新興住宅地に人が集まってきたが、いつしか経済成長の波は引き、廃墟のような街と孤独な老人が溢れかえる世の中になってしまった。
世界中同じような光景があるのだろうが、ニューヨークタイムスが長い特集を組むほどだから、日本の状況は中でも特異に映るのだろう。そして、いずれ世界がそうなる象徴として見えてしまうのかもしれない。
高度情報化社会になって、世界のある部分は先へ先へと突っ走っている。でも、そこには人間社会をどのようにしていくべきなのかという哲学が欠落しているように思う。先端技術や情報社会に向けられるスポットライトが明るければ明るいほど、その影の闇は濃くなっていく。
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