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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.123
2017年8月3日号
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◆今回の内容
◯水と聖地 その3
・飛騨の清流
・三川合流点=大阪府島本町
・サントリー山崎蒸留所
・『無念』に寄り添う日本人の心
◯お知らせ
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水と聖地 その3
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長くこのメルマガを購読されている方はよくご存知だと思いますが、私は、毎年6月から8月もしくは9月にかけて、通算30日あまり中部北陸地方を巡っています。これは、昭文社が発行している「ツーリングマップル・中部北陸版」の取材のためで、今年もその取材の佳境を迎えています。
ツーリングマップルの取材担当となってからかれこれ20年、毎年、同じようなところを巡っているわけですが、不思議に飽きることがありません。それは、日本ならではの変化に富んだ自然のおかげだと思います。そして、その変化をつける要素として大きいのは清冽な水が豊富にあるからだと思います。
昔、シルクロードを旅したり、砂漠のレースを走って帰国すると、成田に降りた途端に、水々しい空気の香りにホッとしたものでした。
水に恵まれ、育まれた土地という観点から日本という国を見直すと、ここは「水の聖地」と言っても過言ではないでしょう。ライアル・ワトソンは地球を「水の惑星」と形容しましたが、その水の惑星の中でも抜きん出て水に恵まれた「水の聖地」が日本でであると。
このメルマガの前々回でも、水と聖地をテーマにしましたが、それに引き続き、私が今回の取材で出会った水の聖地についてご紹介したいと思います。
【飛騨の清流】
カヌーイストの野田知佑さんが、今でも続くビーパル誌での連載を開始されたばかりの頃、岐阜県の郡上八幡を「日本一の清流の街」として紹介されました。
郡上八幡の街は、その真中を長良川の支流である吉田川が貫流しています。水量もたっぷりあるその流れは透明で、川魚の影も透かし見えます。街の真ん中に掛かる橋では、地元の子どもたちが欄干を跨いで飛び降りる光景が風物詩となっていて、地元での彼らの呼び名である「川ガキ」もすっかり全国区になりました。
街の中心には、環境省の名水百選選定の際に一番で選定された宗祇水(白雲水)が湧き出しています。「宗祇」という名の由来は、室町時代を代表する連歌師であった宗祇が、この地の城主だった東常縁(とうつねより)に古今伝授するために当地を訪れた時、この湧き水をいたく気に入ったことに因んでいます。宗祇が帰郷する際、常縁は、「もみじ葉の流るる竜田白雲の花のみよしの思ひ忘るな」という一首をはなむけに贈ったことから、別名「白雲水」とも呼ばれるようになりました。郡上八幡の市街では、ここだけでなくいたるところに清冽な水がコンコンと湧き出し、それが飲料水、生活用水として今でも使われています。
吉田川にカヌーを浮かべるカヌーイストたちは、吉田川の水を直接飲み、岸辺でキャンプする時も、この川の水を使って調理をします。こうした河川の水を安心して飲めるのは、飲料水を確保するのが難しい他の国々からすれば奇跡のようでしょう。
長良川とその支流だけでなく、郡上八幡が位置する奥飛騨から飛騨全域、さらに美濃あたりまでの川は、どこも澄んだその水面を眺めているだけで心まで洗われそうな清流です。ちょうど私が取材で巡る6月半ばくらいから鮎釣りが解禁され、沿岸にはやな場が設けられて、香ばしい焼き鮎の香りが立ち上っています。
また、ここからさらに川を遡っていくと、川の沿岸に白山神社が目立つようになり、支流から支流へと源流へ遡っていくと、白山に行き着きます。円空も白山信仰の影響を強く受けていましたが、白山の神である九頭竜権現は白山比咩、菊理媛と同体とされ、いずれも水神の性格を持っています。また白山の神の本地仏は水の仏である十一面観音ですから、白山が麓を潤す豊富な水をもたらす聖なる山として信仰されていたことがよくわかります。
飛騨は昔から林業が盛んで、さらに「飛騨の匠」といわれるように、木工や大工の名匠を輩出してきました。また、生涯に12万体の仏像を彫った円空も飛騨に隣接する美濃に生まれ、飛騨にはいちばん多くの仏像を残しました。水が森を育み、その森の木を使う文化を育てる。飛騨の清流の傍らを走っていると、ここが日本の文化のコアが形作られた場所であることをひしひしと感じます。
そんな私の定番コースである水の聖地・飛騨を抜けて、前々回に少し触れた、大阪の島本町まで足を伸ばしました。
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