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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.110
2017年1月19日号
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◆今回の内容
◯土地との縁……近況と2017年の予定
・黒瀬川が結ぶ土地
・富士北麓
・四国レイライン
◯お知らせ
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土地との縁……近況と2017年の予定
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年が明けて、早くも20日近くが経ってしまいましたね。もう、みなさんいつもどおりの生活に戻り、仕事にも邁進されていることと思います。
私も、昨年の後半から動きはじめた諸々のプロジェクトがいよいよ本格的な稼動状態に入り、気を引き締めて動き始めています。
今回は、そんな私の近況とともに、今年の聖地観光研究所としての取り組みなどをご紹介したいと思います。
【黒瀬川が結ぶ土地】
学生時代からの親友Wは、毎年、必ず年始に電話くれます。Wは熊野の生まれで、今は故郷で小学校の教師をしながら、郷土史を熱心に研究しています。昨年は、地元の文化講演会でお城マニアとしても知られる春風亭昇太師匠と対談し、その直後に昇太師匠が「笑点」の司会に抜擢されたことから、「俺と関わると一気に運が向くんだ」といつも自慢しています。それはともかく、熊野の歴史や文化に関してはまさに生き字引のような存在で、教示してもらうことも多々あります。
今年も例によって年始の電話をくれて、話は自然に熊野の歴史になりました。すると、彼が「これは熊野の海の文化がよくわかるから」と一冊の本を教えてくれました。あまりにも熱心に勧めるので、すぐに注文しました。
『鯨分限』というタイトルの歴史小説ですが、読みはじめると夢中になって、その日のうちに一気に読了してしまいました。Sが力を込めて推薦するだけのことはあり、熊野の歴史と文化における海の重要性がよく理解できる内容でした。
和歌山県太地町は、古来からの鯨漁で有名な町です。その鯨漁の頭領家を幕末に継いだ太地覚悟という人物がこの小説の主人公です。往時の迫力ある鯨漁の様子がリアルに描かれ、さらに幕末から明治という大きな時代の変化の中で、太地の鯨漁と鯨文化も変化を余儀なくされていく宿命が主人公の人生にオーバーラップさせられています。なによりも圧巻なのは熊野灘の沖を流れる黒潮の存在感です。
熊野を形容する際に、「熊野の荒ぶる神」とか「荒ぶる神のおわす場所」といった表現がよく使われます。私はずっと、この「荒ぶる神」とは熊野の山を指しているものと思っていました。紀伊半島の自然は、深い山ひだが刻まれた「果無山脈」がそのほとんどを占めています。人智を拒む圧倒的に濃密なその山の自然と、しばしば台風に襲われ、山津波が集落をまるごと飲み込んでしまうような荒々しい自然を「荒ぶる神」と形容したのだと思っていたのです。
ところが、『鯨分限』で描かれている黒潮の迫力こそが熊野の荒ぶる神だと思わされたのでした。鯨漁師たちは熊野灘の沖を流れる黒潮を「黒瀬川」と呼んで恐れてきました。明るい南国らしいブルーの海が広がる熊野の海に、突然現れる幅何キロにも及ぶ黒い帯。それは、ただ黒いだけではなく、南から北へ海原をかき分け、大きなうねりをともなって流れていきます。
黒瀬川は海原を切り裂く巨大な河であり、非力な船ではとてもそれを渡りきることはできません。太地の鯨漁は10人以上の屈強な漕手が大物の鯨を追い詰めて仕留める勇壮な漁ですが、その鯨船をもってしても黒瀬川はまったく太刀打ちできない「魔物」でした。
大物の鯨を深追いし、さらに海を荒らす西風が吹いて、不幸にも黒瀬川の流れに捉えられると、もう為す術もなく、そのまま凄まじい勢いでもみくちゃにされながら北へと流されていきます。一日のうちに何十キロも流され、数日のうちに伊豆半島もしくは伊豆諸島近海にまで運ばれてしまいます。そこで伊豆半島や伊豆諸島のどれかの島に流れ着けば僥倖で、ほとんどのケースは、さらに北へ運ばれ、黒潮還流によって太平洋の真ん中に芥子粒のように放り出されてしまいます。
伊豆半島や伊豆諸島、さらは房総半島にも紀州由来の地名がたくさんありますが、その多くは黒瀬川によって北へ運ばれてきた漁師が漂着しそこに住み着いたことが元になっています。中には勇猛果敢に黒瀬川の流れに自ら船を入れて北上した者もいたかもしれません。
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