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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.109
2017年1月5日号
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◆今回の内容
◯石の信仰 その2
・魔除け石と神の石
・行道岩と巡り行道
◯お知らせ
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石の信仰 その2
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あけましておめでとうございます。
関東は、正月三が日は天気に恵まれ、春のような陽気で、どこの寺社も初詣で賑わったようですが、私はといえば、三が日は一日にジョキングの走り初めをしたくらいで、あとは資料読みばかりしていました。聖地巡礼をするようになってから、正月よりも冬至の日が新しい年の節目として感じられるようになり、三が日は年があらたまってからだいぶ過ぎたように感じてしまうのです。
先月の冬至前後は、17日に横浜の朝日カルチャーセンターでの講義があり、21日の冬至当日は芝公園近くでセミナーとフィールドワーク、23日の天皇誕生日には福島県いわき市でのバスツアーとイベントが続き、その後の開放感から、例年より増して冬至後の「年明け感」は強力でした。
ちなみに、冬至のセミナー・フィールドワークの様子は、Yahooライフマガジンで連載されている「雄飛・なめ子の噂の開運ツアー」の取材を受け、その記事が2日に公開されました。ミュージシャンの小宮山雄飛さんの文章と辛酸なめ子さんのイラストで楽しく紹介していただきました。まだ未読の方は、ぜひご一読ください。
http://lifemagazine.yahoo.co.jp/articles/4044
ところで、2017年の第一弾となる今回は、石の信仰について考察したいと思います。
2013年から、伊豆、別所、いわき、四国と各地で集中的に聖地調査をしてきましたが、そのいずれの場所でも、特徴的な岩を神の依代である磐座として崇めたり、道祖神を辻に置いて塞の神としたり、さらには積石を築いて弔いや魔除けとしたり、岩や石に霊性を認める感性は共通していて、それが日本人の精神の基層にあることがわかります。
そこで、あらためて岩や石の聖性について考えたいと思ったのです。本講座の86回でも「石の信仰」をテーマにしましたが、その際は、主に磐座と道祖神について考察しました。今回は「石の信仰」の第二弾として、川原石などの身近にある石に聖性を認める例と修験道の修行における特徴的な岩(石)の役割を考えてみたいと思います。
【魔除け石と神の石】
神社の鳥居の笠木や貫に投げ上げられた丸石が並んでいたり、見晴らしのいい場所から土器(かわらけ)や丸石を投げたりする風習があります。これは、古くは「石文(いしぶみ)」と呼ばれて、石に思いを託したり願いを書いて投げられるものでした。「いしぶみ」といえば、今は「碑」と書いて鎮魂碑や慰霊碑、顕彰碑などになっていますが、元は、庶民がささやかな望みを神に届けようとしたものだったのです。この風習の根底には、路傍の小さな石ころにも霊力があるという信仰があります。
道祖神は、通常は石像や石碑ですが、ただ丸石を置いただけのものもあります。今では少なくなりましたが、ひっそりとした峠の片隅や山間の小川の岸辺に白い丸石が置かれていたりすると、なにやらのっぺらぼうのさらし首のように見えて、ドキッとすることがあります。道祖神は集落の境界に結界を張って、外部から魔が入り込まないようにする「塞の神(さえのかみ)」の性格が強いとされますが、こうした丸石は、その原初的な力を感じさせ、ひと目見ただけで道祖神の原型であることがわかります。
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