虚言癖というほどでもないが、自分を大きく見せようとして経歴を大げさに言う人間がときどきいる。フリーランスの海千山千の仕事をしているせいで、そうした人間と年に二、三人は出会う。どうもこの人は調子がいいなと感じたら、ネットで検索してみるのだが、御大層なことを言う人間にかぎってネット上でのフットプリントが見当たらず、たちどころに化けの皮が剥がれてしまう。
今どきは、名前を検索すればWEBサイトやSNSのフットプリントが10や20はヒットするのが普通だ。少しでも世に名前が知られているような人なら、1000や10000ヒットということもザラにある。それが数件しかなくて、しかも当人のサイトもブログもなければ、SNSのタイムラインにもほとんどパーソナリティがわかるようなものがなければ、これは信用出来ない。
『勝手に選別される世界 --ネットの「評判」がリアルを支配するとき、あなたの人生はどう変わるのか--』という著作は、その題名からするとネット社会の個人のフットプリントが解析されて、個人の趣味や思考があからさまになり、それが人間を新たに格付けしてしまうというようなネガティブなニュアンスが感じられるが、内容はその逆だ。
原題は""The Reputation Economy"で単純に訳せば『評価経済』だが、要は、ネット上のフットプリントから個人が特定され、様々に解析されてしまうのはあたり前の社会になっているのだから、逆にそのことを意識してあるいは利用して、自分の評価が高まるようなフットプリントを残すように努力すればいいとポジティヴに考えようと提唱している。
先に挙げたように、ネット上に痕跡の少ない人物は、何か隠したい過去があったり、自分の活動を知られたくない人がいるために意図的にネットを避けているか、あるいは社会的な活動が少ないためにネットに反映されないのではないかと判断される。
ボストン・マラソンの爆弾テロのときに、ネット上でザックを担いだ不審な人物の画像が流れ、程なくしてその人物が特定され、個人情報が流されて、嫌がらせ電話や家への投石が相次ぎ、その人物が自殺してしまうという事件があった。その人物は爆弾犯ではなかったのだが、ネット上で話しがバイラル的に広がっていくうちに、彼が爆弾犯であるというデマが本気にとらえられ、収拾がつかなくなってしまった。また、本書では企業のサイトやSNSが炎上した事例も紹介している。
そうしたネガはもちろんあるが、そのネガを考えてもネットで露出しないことで社会的評価が下がることのほうがリスキーだとする。
ぼくは今55歳だが、ちょうどデジタル・デバイドの境界ともいえる年齢で、同年代の友人はデジタルに非常に馴染みがあって常に発信しているか、その逆にネットを恐れたり、「ネットなんてオタクのツールだ」と、20年前の寝言のようなことを未だに唱えて、ほとんど発信しないかのどちらかだ。前者は新しい技術やツールが出てくると真っ先に飛びつき、SNSでも年齢に関係なく付き合いの幅を広げている。一方、後者は、ネットも新しいツールも敬遠しているうちにどんどんそうしたものから乖離し、社会から疎外されていってしまう。
そんな身近の様子を見るにつけ、「ネット情報を元にした評価社会を拒むわけにはいかないのだから、逆にそれを利用して、自分の評価を高め、社会とより密接に関わっていこう」という著者の指摘がとてもよく納得できる。
もう一冊の『ビッグデータを活用せよ』のほうは、評価社会のバックボーンともなっているネット上の膨大なデータなどを解析してそこに意味を見出す仕組みが、様々な角度からそれぞれのエキスパートによって解説されている。
情報の処理速度がすさまじい勢いで高まり、さらに情報のストレージ量が天文学的な数字になった今、昔ではとても考えられなかった量のデータを超高速で解析して、様々な知見が得られたり、システムの自動化が進むようになった。このところよく話題になる「自動運転」も、様々なセンサーが取り付けられた車が、自車のセンサーから得られるデータや道路上のセンサーのデータなどを取り込んで、その膨大な量のデータを瞬時に処理することができるようになったことで実現しつつある。
もう20年以上前に、ぼくはニューラルネットワークとVR(バーチャル・リアリティ)の融合した『トータル・リコール』のようなゲームの小説『チキサニ』を書いたけれど、その中で表現したVRに近いことがもうコンシューマーゲーム機として実現している。10年くらい前にもヘッドマウントディスプレイを装着するVRは登場していたが、頭を勢い良く動かすと中の映像処理が追いつかなくて、微妙なディレイを起こして映像酔いするような代物だった。しかし、今年市販されたオキュラスリフトのようなVRは高精細の3D映像をまったくディレイ無しに見せて、没入感はとんでもなく高まった。こうしたVRもいうなればビッグデータ処理の一つといえる。
神秘主義(スピリチュアリズム)の世界では、昔から『アカシャ記録』とか『アーカシックレコード』という世界の過去と現在と未来の全ての事象を記した記録があると信じられてきた。インドの聖人アガスティアが記したという「アガスティアの葉」という話もそんなバリエーションの一つで、これには一人の人間の一生の出来事が14枚の葉に記されているという。そのアガスティアの葉を読むというナディリーダーなるものがいて、高い料金を払えば自分の未来を明かしてくれるといったカルト商法もある。
それはともかく、今、人類がデジタルデータとして蓄積したデータの量は途方も無く膨大なもので、毎年すさまじい勢いで増えている。2013年一年間で増えたデータ量は約2ゼタバイト(2×10の20乗バイト)で、これは20世紀末までに全人類が蓄積したデータ量の約300倍に当たる。それが年々増え続けている。
量子力学や複雑系・非線形理論の登場で、この世は明確な因果関係によって成り立っているのではなく、あらゆるものの相互作用で形成されていることは明確になった。宇宙は神によって創造されたのではなく、特殊な熱条件から生まれ、あらゆるものの相互作用による事象を起こしながら膨張している。当然、未来が既定などされているはずはなく、『アカシャ記録』も『アガスティアの葉』もナンセンスであり、何も予見することはできない。唯一未来を予見する可能性を孕んでいるのは、ビッグデータ解析だ。
本書では、ビーグデータ解析の概要とそれが開く様々な可能性が素人でもわかるように解説されている。最近よく耳にする「データマイニング」や「ディープラーニング」それを可能にする様々なアルゴリズム、「質問応答型」から「パターン認識型」、そして「運転判断型」へと進化してきたAIについても詳しく解説されている。
人間は、今まで自分の経験値や経験値から生み出される「勘」にたよって様々な判断をしてきた。また、長年馴れ親しんできた因果関係という考え方から離れられずに、その観点から結果を予測してきた。ビッグデータ解析の真骨頂は、そうした人間の価値判断を越えた次元で、正確に結果を予測することにある。
ある家電量販店で店員にウェアラブルセンサーを付けてもらい、動きのデータを取った。これにPOSの売上データと店のレイアウトや品物の配置などのデータを加え、AIに売上を向上させるための方法を指示させると、数カ所の地点で店員がなるべく長く滞留するようにという結果が得られた。一方、ベテランのコンサルタント二人を雇い、彼らにいつもの手法で店員や顧客にヒアリングさせたり、品物のレイアウトなどを視察してもらったところ、彼らは今後売れ筋になるであろうLED電球を目立つところに陳列するといったいくつかのアクションを指示した。結果は、AIの指示では顧客単価が15%向上し、コンサルタントの指示では変化が見られず、AIの圧勝だった。
『勝手に選別される世界』と『ビッグデータを開拓せよ』が描き出しているのは、今まさに人類が根本的なパラダイム・シフトの時にあるということだ。
今までのパラダイム・シフトは、農業革命であり産業革命であり、エネルギー革命だった。現在のパラダイム・シフトは情報革命とも言われるが、情報革命の中身でも巨大な変化が起こっている。前期の情報革命は人間が情報を処理するための効率が飛躍的にアップした革命だった。そして、後期の情報革命は、人間そのものも情報と化して分析・処理される革命だ。この革命を理解できずにその波に溺れることなく、新たな情報革命を利用していくためには、この革命を理解して、自らの情報センスを磨いていくしかない。
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