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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.94
2016年5月19日号
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◆今回の内容
1.白山信仰の聖地と人
・泰澄と神仏習合
・菊理媛という神、北陸の神の由来
2.お知らせ
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白山信仰の聖地と人
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毎年、北陸の能登から加賀、越前、若狭、そして美濃と巡っています。今年もちょうどその季節が近づいてきました。
なぜかとても惹かれる場所であり、これらの地域には共通の佇まいが感じられます。それは端的に言えば大陸や朝鮮半島の文化の影響を受けたエキゾチックな雰囲気であり、また色濃い自然とそれに密着した宗教的な風土が見せる独特の落ち着きです。そうしたこの地のゲニウスロキのさらに基層は、この地方の象徴的な聖山である白山に根ざしています。
関東から東海にかけては富士山が精神風土に大きな影響を与えてきたように、北陸の盟主ともいえる白山は、威風堂々としながらも優美さをあわせ持つその山容から、この山を拝する地方の人にとっては「心の山」ともいえる存在でした。
白山も富士山と同じように広大な山裾を持っています。北陸や美濃から白山にアプローチする道はかつて「禅定道(ぜんじょうどう)」と呼ばれた参拝の道で、白山に近づくにしたがって野生の力が増していきます。かつてこの道を辿った修験者や参拝者たちも、人跡が絶えて荒々しい野生の力が満ちていく光景に、自らが彼岸へと進んでいる実感を持ったのでしょう。
金沢の人である泉鏡花は『高野聖』や『夜叉姫』といった作品で白山に連なる土地を舞台にしていますが、その幽玄な世界は誇張ではなくいまだに白山周辺に広がる光景です。
美濃側からアプローチする道を辿ると、石徹白(いとしろ)というところからいよいよ登山道が始まります。ここには「石徹白大杉」という巨木があります。これは白山を開山した泰澄がこの場所に突き刺した杖が成長したものという伝説があります。樹齢は1800年と推定され、屋久島の縄文杉が発見されるまでは日本最古の木とされていました。幹囲目通り14mの堂々とした姿は周囲を圧倒し、森の主の風格を湛えています。
私は、初めてこの大杉と対面した時、とっさに縄文の火焔土器を思い浮かべました。荒々しく入り組み曲がりくねった幾筋もの畝が幹の表皮を走り、さらにそのうねりがそのまま枝となって四方八方の天へ突き抜ける様は、大地の力が怒涛のように湧き出す様子が木に転写されたかのようであり、それが不思議に火焔土器にオーバーラップして見えたのです。その時の体験から、私は縄文の火焔土器は火炎を表しているのではなく、こうした大地の力が湧きだしたように見える巨樹を象ったものだと確信するようになりました。
そんなこともあって、私も白山に惹かれ、白山への信仰が色濃い地方を訪ねるようになったのです。
【泰澄と神仏習合】
白山を信仰の山として開いたのは泰澄です。泰澄は天武天皇11年(682)に今の福井県南部にあたる越前国麻生津に生まれました。父親は土地の豪族である三神安角で、港の管理者である「渡守」でした。母親は伊野氏の娘で、白玉の水精が体に入る夢を見て泰澄を懐妊したと伝えられています。
泰澄は三神家の次男として生まれ、幼い頃から自分の出自を聞かされたためか、物心ついたときには仏に仕えることを決心していたといいます。そして、14歳にして出家し、越知山に入って十一面観音を念じて修行に励みます。十一面観音は水を司る仏であり、自分が水の精の生まれ変わりと信じていた泰澄は十一面観音に具体的な自分の姿を写していたのでしょう。
霊亀2年(716)、泰澄は夢のなかで女神のお告げを受けます。その女神は自分を「妙理大権現=イザナミ」と名乗り、白山の神であること、白山に登ってこの山を開く役目が泰澄にあることを告げたのです。
翌養老元年(717)、泰澄は白山に登り、彼にお告げをもたらした妙理大権現をはっきりと感得します。さらに妙理大権現の化身である九頭竜権現、白山別山大行事、オオナムチを感得します。
妙理大権現の化身である九頭竜の神は十一面観音を本地仏とします。さらに白山別山大行事は聖観音を本地仏とし、オオナムチは阿弥陀如来を本地仏とします。白山には御前峰と別山、大汝山という三つの主要ピークがありますが、御前峰には「妙理大権現=イザナミ=十一面観音」、別山には「別山大行事=聖観音」、大汝山には「オオナムチ=阿弥陀如来」がそれぞれ当てられています。
白山西麓の白峰には林西寺という古刹があります。その境内には立派な堂が建てられ、かつては白山の頂上にあった七体の本地仏が安置されています。これは明治の廃仏毀釈の折に、捨てられそうになったものを林西寺の当時の住職が命を掛けて密かに持ち帰り、ひっそりと安置したものです。10年ほど前に、たまたま通りかかって拝観し、居並ぶ白山の本地仏の前で時を忘れて佇んでいた思い出があります。
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